嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

塩田(佐賀県嬉野市塩田町)のお寺の偉いお坊さんのおらして、

京都の本山さい修業に行きんさったて。

その帰り道やったて。

ズーッと帰って来(き)よんさったぎぃ、

一の谷ちゅう所で通いかかんさったて。そうして、

「ああ、ここじゃなあ」て。

「ここいらで平家一門は一族滅んだったなあ」て言うて、

「ああ、一門の供養にもお経をここで上ぎゅう」て言うて、

一の谷ん所にドッカと座ってさ、一心にお経を上げんさったて。

大抵(たいちぇ)長(なご)う。

あったぎぃ、もう帰ろうかあて、しんさった時にねぇ、

錦の鎧(よろい)ば着た若(わっ)か侍の前出て来たてよう、和尚さんの目の前。

そうして、もの言うたて。

「我れは敦盛が霊なり」て。

「御坊に経を給はり一門の安らぎと覚えたり。

願はくは重ねて経文の弔(とむら)ひを乞ひ願ふ」て、

こういう声のシッカイしたてじゃっもんねぇ。

そうしてねぇ、そのきれいか若か侍の姿がパッと消えてしもうたて。

ところがねぇ、ほんなこてその坊さんな、こう我れに返ってみてみんしゃったぎねぇ、

我が手にさ錦の直垂(ひたたれ)のねぇ、

袖と短剣(たいけん)ちゅうて小(こま)ーか剣が握っとんしゃったてよう。

不思議かも不思議かにゃあ。

こぎゃんごともあろうかあ。

あいどん、こりゃほんな物(もん)、と思うて、

その直垂と短剣ば大事に自分が我が寺さにゃ持って帰ってさ。

そうして、そいから先ゃそこにね、丁寧に供えてそこの跡に供養塔まで建てて祀んさったて。

平家の一門のためにと思うて、お祀いしんさったて。

そいが今にもさ、塩田の常在寺の裏手に、

「敦盛さん供養塔」ちゅう法印の塔が残っとっとよう。

ほんなこてあります。

[一二九 自然説明伝説(塚)]
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P816)

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