多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
大体、相の浦には、
相の浦と言う豪族がおってですね。
そうして、右近の城・左近の城ちゅうて、
城があったわけです。
そいぎぃ、まあ左近の城て言うのが、
ちょっと、あの、インターチェンジで、
ちょっともう、
大分とれたがのまい【とれましたのがね】。
あいどん【しかし】右近の城の山だけは、
まあーだ残っとっです。
そうして、その中にずうっと村中に入りますと、
あの、飯盛神社てあっですもん【ありますね】。
その飯盛神社が八百年祭じゃったかなあ、
もう十年ばかい前にあったですがね。
そこの奥の方に、ナポレオン石があるわけですよ。
その一帯を飯盛山て言います。
その飯盛山の先の方に、
その、小石をどっさい【たくさん】、
もうこのくらいばっかいの石が、
どがしこでん【いくらでも】あるわけです。
それは、その、姥捨山に親を捨てとんもんだから、
その、会いに来よっていう印のために、
必ずそけぇ【そこに】一つずつその、
行た時に置いてしよった、と聞いとったですがね。
[自然説明伝説・山]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P110)