嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかし。
何時(いつ)ーでもきれいか水のサラサラサラ流れる川水で一(ひと)人(い)の美しか女がねぇ、桶に沢山洗濯物(もん)ば入れて抱えて来て、その川で洗濯しおったて。そいぎぃ、ザワザワザワって、そのへんの笹の音がして、草むらをわけて一人の若い男がやって来て、
「人に追われております。どうか私を匿(かくま)ってください」て、もう命がけで色青うなって、頼んだちゅうもん。そいぎぃ、そのきれーいか娘さんな勇気のあったとみえて、
「そう。そいぎぃ」て言うて、咄嗟(とっさ)じゃったけど、娘さんはさ、桶の洗濯物ばサーラッと地にこぼして、
「さあ、早く。この中へ」て言うて、桶ば被せんさったちゅう。そうして、そ上に洗濯物ばいっぴゃあ載せとんさったて。
もう、そぎゃんした時、じき追手が来て、
「誰(だい)がここさい逃げて来たろう。誰か来たに違いなか。隠すぎぃ、お前(まい)も酷か目あうぞ。どちらへ行ったかあ」ち、恐ろしゅう高(たっ)か声で言うちゅうもんねぇ。そいぎぃ、洗濯しょった女が、
「はい。向こうの方に、三千ぐらいの兵隊の待っとっ所に、馬に飛び乗って矢のごと行かれましたよう。そいを見たあ」て、言うたとに、そいぎ追っかけて来た者(もん)達ゃあ、娘さんが本当のことを言っていると、その様子ば見てたじゃろいて、
「そいぎぃ、あいどんから追っかけらるっぎぃ、我がどんが命が危かじゃあ。私(あたい)どま逃げたが勝ちじゃあ。早(はよ)う、逃ぐう」て言うて、「もう、追うどころじゃなか」ち言(ゅ)うて、消(き)ゆっごと逃げて行たてぇ。
ところがねぇ、その女の洗濯をしょった所に逃げて来んさったたさ、天皇さんの王子さんの大津皇子ちゅう方じゃったて。その頃、南北朝時代で恐ろしか、南と北ていうごと、天皇さんと他の豪族ちゅうのと争いの絶えなかった時じゃったもんねぇ。そいで、その頃のもう、世の中が麻のごと乱れとったて。そうして、その王子様は、その娘さんの気転で無事に逃げとおすことができられて、そしてあとで立派な大将になんさったて。
そのうち世の中も落ち着いた時に、
「自分が現在こうしてあるのも、あの川(かわ)辺(べり)で洗濯していた女が助けたお陰だ。あの女をぜひ、捜し出して参れ」て言うて、家来を遣わして八方手を尽して、あの川辺(かわべり)に洗濯した女をお捜しになりました。けれども、
「そんな女を見たていう人は、一(ひと)人(い)もおらん」て。「そんな女は影も見たごたなか」て、言う者(もん)ばかいやったけど、王子さんは、
「もし、女がおったらぜひ、お后に貰い受けたい」て、もう深く心に決めとんさったて。
そいでも、とうとうその娘さんな見つかることができなかったて。そいぎ王子さんは、
「きっと、その川辺で洗濯した女は、とても並々の人じゃないように気転も利く素晴らしい心の持ち主で、徳を持ったあれは菩薩様の化身であったよ」と、言われたて。
そういうことです。
そいばあっきゃ。
〔七八 文化叙事伝説(精霊)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P765)