嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

山の上に何処(どこ)ーでも堤ていう太か沼があったてぇ。そいで、

「あすこには何(なん)じゃい主のおっばい」て言うて、話やったて。

そいぎぃ、その村の若(わっ)か元気者(もん)どんが、そいば一遍つかまえてみたかにゃあ、と思うて、

「明日(あした)は、あの沼の魚(さかな)ば残らず全部(しっきゃ)あ捕ろうかあ」て言うて、相談したて。

そうして、網の修繕ばしたいないたいしょったて。そいぎねぇ、夕方近くそのへんの者じゃなかーごたっ片目の年寄いの通いかかってねぇ、その若か者の側さい来て腰掛けたて。一休みしたちゅう。そうして、言うことにゃ、

「そいぎぃ、その網で明日の沼の魚捕りのあっとですかあ」ち、聞いたて。そいぎぃ、若か者は網の修繕しながら、

「そのとおり」て、言うたちゅうもんねぇ。その網の繕い物を休みもせじぃ、言うたて。そいぎぃ、その年寄いは、

「あつこの魚捕りはやめたが良かですよ」て、言うたて。そいぎぃ、若か者の、

「なぜ」て、聞いたぎぃ、

「あの、あすこの魚は食べられんとじゃんもん」て、あの、その見知らん年寄いが言うて。そいぎぃ、若か者どんが、

「そりゃあまた、どうしてぇ」て、聞き返すぎぃ、

「あすこの魚ば食うぎぃ、体いっぴゃあ斑点(はんてん)のできて死ぬ目に合うばんたあ。そいけん、あすこの魚は食べんが良かろう」て、何度も何度も同しことを言んさっ。

不思議かにゃあ、て若か者が思いよったて。あいどん網繕いばやめじしおったぎぃ、とうとう翌日になったて。そいで、皆がもう、元気良く、

「さあ、魚捕いだ」ち言(ゅ)うて、もう網どん持ったい、釣り竿どん持ったいして出かけたて。ところがもう、その沼の水ば減らきゃあても、半日かかっても、小魚一匹捕れんてじゃんもんねぇ。そいぎぃ、

「こりゃあ、水の余(あんま)い冷たしゃ魚は棲んどらんとじゃなかろうかあ。もう、こんくりゃあでやみゅうかあ」て、誰(だい)でん言うた。

「あいどん、まあ一遍網ば打ってみゅうかあ」て、網ば打ったて。

そいぎぃ、その網の重か重か、もう引き上ぐっとに、ハアハア言うごと重かったてぇ。そうして、上げてみたぎさ、太(ふと)ーか鯰(なまず)の、三年鯰というとよいか、五年鯰ていうごたっとの入(はい)っとったちゅうもんねぇ。

「太ーかったにゃあ」ち言(ゅ)うて、しげしげそいば見てみたぎさ、その鯰は片目が潰れとったてぇ。

若か者はねぇ、昨晩方、網の繕いばしおったぎぃ、片目の年寄いが来たい、俺(おい)ば尋ねて来たい、ありゃ、きっとこの鯰の化けて捕られんごと頼みぎゃ来たとばいにゃあ。魚でん命が惜しかったとばいにゃあ、と思ったて。「そいでも折角骨折って捕ったとじゃんもん。煮て食おうやあ」て、言うことからその晩な、

「美味(うま)か、美味か」ち言(ゅ)うて、味噌煮したいないたいして、その鯰ば食べたぎぃ、翌日からさ、皆、うぅ、何じゃい顔に白うなった点々のごとなって、取れん。村ん者は皆、医者さん行きばっかいじゃった。

そうして、この村はそれから先ゃ気味悪がって、鯰ていう魚は決して食べんごとなったてよ。

そいばあっきゃ。

〔七九 文化叙事伝説(精霊)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P766)

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