嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 今度は「お引越し」。

とてもねぇ、昔は、あの、我が家(え)ばっかい、何処でもじゃったけど、長者さんが瓦ちゅうとのあって。ほんに、お城のごと見て良かばい。瓦屋根の立派か、お城のごたっ家(うち)ば建てんさったて。そのお隣には、藁屋根の小(こう)ーか、小屋のようながあったけど、誰(だい)も住んどらんやった。

ところがねぇ、そこに、その藁屋根の小ーか家(うち)に引越しのあったて。お引越しして来たのは、鍛冶屋さんじゃったて、トッテンカントッテンカンて。そうしてねぇ、もう鍛冶屋さんが、その小屋に引越しして来たけれども、朝から晩まで、トッテンカントッテンカントッテンカンて。もう、この長者さんの家(うち)まで響いて、もう頭の痛(いと)うして眠られん。やかましゅうしてたまらん。一時(いっとき)の休みのなし、トッテンカントッテンカン。「ほんに困ったねぇ。偉い人達が引越して来てくいたあ」て、言うたら、そこには、長者さんの家(うち)には、沢山女中さんがいたら、女中さんが、あつこにお引越しば、鍛冶屋さんが来たけど、「余(あま)い手狭で天井の低うして、もう土ばこう上げられん。『何処じゃいまちかっと、広か所に移いたかあ、移いたかあ』ち言(ゅ)うて、あつこに行くぎごっとい言いおんさっ」ち、主人に、長者さんに、話(はに)ゃあたて。そいぎねぇ、

「あらー。何処(どっ)かに移りたか。『余い狭か』て、言いおんねぇ。そんなら私が、あの、何処じゃい引越しばすっごと言うて、話(はに)ゃあてみゅうかあ」

長者さんが、その隣(とない)の狭い鍛冶屋さんの家を訪ねて行ったち。そうしてねぇ、

「あんさん、ここは『狭か』て、言うそうだが、本当かあ」て、聞いたら、

「はーい。もう、あの、第一もう、こんなに土を下ろすのに、上に上げるのに、天井につかえて、そいも困っ」ち。「もう、どうでん何でん置き先(ざき)のなし、もう少し広い所がいいなあ」と、本当に手狭で困っとります」て、言うたら、

「そんなら、引越ししたらいい」て、言うたら、

「そいが、引越ししゅうでちゃ、ここに来(く)うでも、お金がいったのに、また引越しすると金持たん」ち。

「そいぎぃ、お金しゃあがあっぎ引っ越すねぇ」ち、言うたら、

「はあ、もちろん。お金の都合さえできたら、もう少し広い所が、いいなあと思っています」

そいぎ長者さん、お金は沢山持っていた。あんなに良か場所が買えるなら、こんなに安いこと、良い買い物だと思うた。心で考えて、

「そいぎぃ、そのお引越しのお金を私(わし)が出して寄付しゅううかあ」

「あら、寄付してくださるんですか。『お金を返せ』と、言うたら、返しきらないけん。長者さんがお金をくださるだったら、もう少し広い家に引越ししたいです」と、鍛冶屋さんは言わす。

「私(わし)が奮発して金はやろう」ち言(ゅ)うて、奮発して大層なお金を鍛冶屋さんにくれてやったんですよ。

そいぎね、引越しするために十日ばっかい、静かでほんに良かった。ああ、引越ししたけん、良かったばい、と思うとったぎぃ、十日ばっかい経ったぎぃ、今度(こんだ)あ、右の方からトッテンカントッテンカン、もう今までよい音の。ありゃあ、左の方の鍛冶屋が、また西に来たかあ。長者さんな、行かせて行ってみた。左の鍛冶屋さんな、右の方に移っただけじゃった。そいぎぃ、「あんな大金をまたーちゅうて出しきらん。もう辛抱せじにゃあ仕様がない」ち言う、困った引越しだったちいうお話。

そいばっきゃあ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P604)

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