嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかしはねぇ。
天狗しゃんのほんにおんしゃったてよ。そうして高(たっ)か木に登って、
「誰(だい)でん悪かことしよる子供はおらんかあ。お利(り)口(こう)さんばっかいおっかあ」ち言(ゅ)うてもう、木の上から恐ろしかめがねの太かとばかけて見おんさったてぇ。
そいぎねぇ、ある日のこと坊やがねぇ、もう竹の筒ば持って来て、一生懸命こうして、その天狗さんの何時(いつ)ーも登っておらす大きな松の木の下で、
「ああ、大阪の見ゆっ。道頓堀の見ゆっ。ああ、面白か」て言うて、見よったそうです。
そいぎぃ、天狗さんが不思議に思うてねぇ、
「そぎゃん見ゆっかあ。俺(おい)がぎゃん高か所から見ても、そこん辺(たい)の村の先ん方は見えんどん、子供が遊びよっ所(とこ)どま良(よ)う見ゆっどん。そぎゃん大阪の道頓堀までは見えん。そいぎぃ、どら、チョッとどま貸(き)ゃあてみぃ」て、天狗さんが言わいたて。
そうすると子供も気の利いとったんもねぇ。利口な子供じゃったけん、
「ただは貸されん。何(なん)じゃろう天狗さんの宝ば見せじいにゃあ。俺(おい)がともこりゃ宝じゃんもん」て、その子供も言う。天狗さんは、
「私(わし)にも宝のあっよう」
「何(なん)のう」
「天狗の蓑(みの)じゃん」
「そいぎぃ、天狗の蓑とチョッと換(か)う。天狗の蓑ばチョッとやってんござい。そいぎぃ、この遠めがねば貸すけん」て、子供は言う。
「いんにゃあ。この、あの、蓑までは貸されん。鼻高(たか)なれば、こいも宝物じゃっけんが、こいば貸そうかあ」て、天狗さんは言う。「こいがなかぎぃ、天狗の面てんなかとばい。こいも宝物じゃっけん」て。
「そいぎぃ、そいでん良か良か。そいぎぃ、そいと換うでぇ。同(おな)ーじ竹つっぽうのとじゃっけん良か塩梅(んばい)」ち言(ゅ)うて、その子供は天狗の欲っしゃしよっ遠めがねちゅうのと竹の筒ば二本と、「鼻高(たこ)うなれ、高うなれ」と、換えたと。
そいぎぃ、天狗さんはもう、また木にドンドン登ってぇ、竹の筒を一生懸命に目玉に当てて、何処(どこ)、四方八方見るけど、大阪もおろか、すぐ側にある草でん見えん。
「こりゃあ、何(なーん)も見えん」
「チョッと、まあ、まっと心ば落ち着けんば、そぎゃん遠か所は見えん」て。「天狗さんは、案外気の小(こま)かねぇ」ち言(ゅ)うて、子供がからこうたて。そいぎぃ、
「落ち着いて、ユックリ見よれ。ジーッとしとれ。ようしとれ」て言うて、天狗さんは一心に見とった。そいぎぃ、木の下の子供は、
「『鼻高うなれ。鼻高うなれ、高うなれ』て、言うてみんさい。そしたら見ゆっかわからん」て、言うたら、
「鼻高うなれ。鼻高うなれ。鼻高うなれ」て、天狗さんが言うたら、その鼻が、天狗さんの鼻がニョキニョキ、ニョキニョキーて、その鼻高うなれの器械を天狗さんの方に向けとったので、天狗さんの鼻が、フーッて延びたそうです。そして、
「お前(まい)、こら。子供から騙さるっ私(わし)も失敗(しくじっ)たなあ。お前(まい)、こりゃ何処(どこ)ーも見えんじゃないか。ただの竹つっぽうだ」て言うて、地(じ)べたにドサーッて、天狗さんは落ちんさいたて。ちょうど、天狗さんの鼻の長(なご)ーうなっとっとけぇ、向こうの方で山火事があいよったもんで、その火事の燃えとっとの夕暮れ時じゃったぎぃ、鼻に赤(あこ)うー映って、そいから先が天狗さんの鼻は真っ赤々になってしもた火のごと赤い鼻になってしまったと。
そいまで。そういうことです。
〔四六八 隠れ蓑笠(AT五六六、cf.AT一〇〇二)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)