嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかーしねぇ。

もう恐ろしゅうも、津波の太かとの村ば襲うたてじゃもんねぇ。

そいぎぃ、

その津波のくっ時ゃ何時【いつ】ーでん風もなかごと和【な】ぎじゃったとこれぇ、

砂浜で三人の息子達がおったいどん、

ほんにもう、死骸も上【あ】がらじぃ、とうとう行方しれずじゃったて。

ほんに親達の悲しみようしゃったてもうねぇ。

ところがねぇ、

一【ひと】人【い】の人がねぇ、恐ろしかその、津波に流されてもう、

ズーッと奥さい行きんしゃったて。

そこでもう、

グチャーッてなって、浜に打ち上げられとんしゃったぎねぇ、

恐ーろしか太か男の来てさい。

そうして、

「自分の背中に乗れ」て言うて、

背負【かる】うて海水の深か所【とこ】ばジャブジャブって、歩いて、

そうして自分の家の側まで連れて行ってくいたて。

ところが、その大男が言うには、

「ぎゃんして送い届けたとは、絶対人には言うなよ。

そいば約束でくっか」て、言んしゃったて。

そん子供は、

「はい。命を助けてもろうたとじゃっけん、絶対人には言いません」

て言うて、固く約束をしたて。

「有難う」て言って、大男と別れたて。

そいぎぃ、

そこはもう思いがけなくそこは自分の家の裏ん戸口に

ひん【接頭語的な用法】流された命はなかもんと思うとった男の子が立っとったもんだから、

お家【うち】のお父さんお母さんは、もうとても喜びんしゃったて。

そいから、

その男の子はだんだん、だんだん一年一年大きくなって、若【わっ】か者になったて。

そして、

三夜待ちどんすっごとなったて。

そいぎぃ、

一杯あ飲みながら誰【だい】でん、

「あぎゃんことした。こぎゃんことした。

ぎゃんこと私【わい】達知んみゃあだい。

俺【おり】ゃあ、ぎゃん【コンナ】目に合【お】うた」

て言うて、面々自慢話ばすっちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

その大男に連れられて来た男も、言おうごとしてたまらんちゅう。

もう、何【なん】じゃい自分の自慢したことは誰【だい】でん言いたかもうねえ。

言いとおしてたまらんて。

そいぎぃ、

もう何年でん経ったもん、言うてもよかろう、と思うて、

「俺【おい】も、お前【まい】達よいか恐ろしか良か目に合【お】うたたい」て。

「俺が生き返って来たとはばい、どぎゃん深か海でんが、

もうザオザオ、ザオザオいわせて、歩【さり】いて

背中に俺ば背負【かる】うてんくっごったっ、大男の

海のどぎゃん【ドンナニ】深か所【とこ】でん、沈まんとよ。

大男から背負われて、あの大潮で流された時は、ここまで連れて来てもろたとじゃんもん」

て、こう話ゃあたぎぃ、

話も終わらんうちに、恐ーろしゅう、

この辺【へん】は荒れ模様になって津波の急に起って、

またあの時のように波の攫【さら】うて、

その約束を破って話してしもうた男はとうとう命を落としてしもうたて、いうことです。

そいばあっきゃ。

[一五九  本格昔話その他]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P435)

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