嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

ズーッと、まだ世の中の開けとらん頃、

ある村に太か川の流れおったてぇ。

ところが、この川の流れの恐ろしか荒うして、

何時(いつ)ーでんゴウーゴウーやって、

音たてて流れおったけん、

その川の名が逆川(さかさがわ)て、

ちぃとったて。

そいどん、その川に橋ば掛くっ話があって、

何度橋を掛けても、

一月(ひとつき)ももてじその激流に流さるっもんじゃ、

あつこに橋のなかもんで皆が不自由しおったと。

遠回いせんばらん」

とうとう、殿さんの命令で

橋を掛けんばらんごとなったと。

そいでも何度橋ば掛けても流されてしまうと、

「こりゃあ、神さんにいっちょお頼みせんばあ」て言うて。

「無事に橋の掛っごとち、

お頼みばせんばあ」て言うて、

神さんに参(み)ゃあらしたぎねぇ、

神さんのお告げのあったと。

それはねぇ、

「人柱を立てて橋を築くぎぃ、

何時(いつ)まっでん流されんぞう」て。

そいぎぃ、

「人柱ちゅうぎ困ったねぇ。

人間ば埋めんばらん。困ったにゃあ」ち言(ゅ)うて、

頭を抱(かか)えて皆が困っとったてぇ。

そうして、

「ここに橋ば掛けんばらん」て、

土手で話し合いの

最中に一(ひと)人(い)の人が側に寄って、

来た者(もん)のおったて。

「橋ば立派に、

掛くっとには袴(はかま)に

継ぎの当たっとん者ば捕まえて来て、

そん人んば人柱にすっぎぃ、

ひん流さるっことはなし、

立派に橋の掛かっ」て、言うたて。

あったぎぃ、こうして見たぎぃ、

そん人の、

言うた者の袴に継ぎの当たっとったちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、そん人を早速捕まえて、

「この方を気の毒(どっ)かいどん、

人柱にして橋ば掛くっよいほかなか」て、

言いよったぎぃ、

その人も抵抗も何(なーん)もせじぃ、

「人んためなっことない」ち言(ゅ)うて、

人柱になんさいたと。

そうして、橋の掛ったて。

そいぎぃ、それから先ゃなぇ、

どぎゃんゴウーゴウと、

逆かま差くれにも、

その橋はビクともせじ

堂々と揺れもせん橋やったてぇ。

村ん者な、

「あん人の犠牲のお陰で、

ぎゃんして不自由なし一回(ひとまわ)いせじぃ、

ここば行たい来たいさるっ」ち言(ゅ)うて、

そん由来(ゆわれ)ば

知っとん者は全部(しっきゃ)あどめ胸いっぴゃあなって、

そこば有難(あいがた)か、有難か、

と思うて、通いおんしゃったいどん、

人柱になんさいた人はさ、

ほんな隣(とない)村の長者さんやったてばい。

そうして、我がからねぇ、

人柱になろうで思うて、

継ぎの当たった袴ば着て通んさったて。

その長者さんの死にんじゃったこの人の娘に、

とても器量良しの娘さんがおってねぇ。

そうして、この村の、

橋を掛けた村の、

庄屋さんの家(うち)に嫁に来んしゃったて。

ところが、

この娘さんが嫁に来んしゃったいどん、

いっちょん口ばききんさらんて。

ものば言うたごとなかと。

そいぎ誰(だい)でん、

「あぎゃん器量良しも、

唖(おし)じゃ仕様(しよん)なか、

役に立たん。夫婦語たいもされんやろうだい。

もの言わんとはもう、

嫁がとなかあ」て、

誰(だい)でん言うもんじゃ、

庄屋さんの家(うち)でも、

「家(うち)は唖ではつまらんなあ。

人が出たい入(ひゃ)あったいして、

挨拶(あいさつ)ばせんばとに、

ものいっちょも言わじは。

ほんなこて、息子も困っと。

こりゃ、親元さい帰ってもらうよいほか仕方なかばーい」て、

言うことに決まって、

あいどん見よっぎぃ、

きゃあきれいかちゅうもんねぇ。

そいでもとうとう息子さんに、

「もう、ぎゃん唖じゃ家(うち)には

どぎゃんしゅん役に立たん。

お前(まい)、親ん所(とこ)さい連れて行たてくいろう」て

庄屋さんが言はすもんで渋々聟さんが、

その嫁さんば連れて橋ん辺(にき)さい来(き)おったて。

聟さんが見っぎ見っほどきれいかちゅうもんねぇ。

どぎゃんないとんして、

一言(ひとこと)でん言うてくるっぎ良かとこれぇ。

何(なん)でないと、

一言いうぎ良かとけぇて、心ん中でもう、

一言口をきいてくるっぎぃ、と思うて、

二人の者は橋にきまで来て休みんさったて。

そうしてねえ、何を思ったか、

ちょうとふざけてみゅうと思ったか、

どがん思ったいどん、あの、ほんなことはそん時、

聟さんな返そうごと、

親元返そうごとなか心でいっぱいだもんで、

一言でん口をきかせたか心いっぱいじゃったいどん、

ツカツカって、その大きな川岸さい行たて、

手に水ば汲んで来て、

我が嫁さんの顔にパーッて、

ひっかけんしゃったて。

そうして、聟さんの言うには、

「今んとは、露かい、玉かい」て、

一枚の紙に書いて見せんしゃったて。

そうぎねぇ、嫁さんもさ、

紙ば懐から出してね、

あんさんが露か玉かと

聞いたとて帰り行く身はただ涙のみ

て、書きんしゃったちゅう。

そいぎぃ、聟さんなこの歌んごとねぇ。

やっぱい帰って行くとは、

泣かじいにおられんとばいにゃあ、

と思うて、また二人(ふちゃい)がかいで、

そこで泣(に)ゃあて、

「やっぱい唖では仕様がなかにゃあ。

さあ、行こう」ち言(ゅ)うて、

二人連れ手を取って、

立ち上がんしゃったて。

そしてねぇ、

そのビクッともせんごと丈夫に掛った橋まで来た時、

そこん辺(たい)いっぱい橋の上から見っぎぃ、

葦(あし)のいっぴゃあ茂っとったちゅうもん。

そうして、その中から雉子(きじ)がねぇ、

一羽の雉子が、キチキチキチって、

啼(に)ゃあたて。

そいぎぃ、聟さんのねぇ、

「ありゃ、雉子。あれは雉子」て、

咄嗟(とっさ)に我が持った鉄砲で撃ちんさいたと。

そいぎねぇ、葦ん中の一羽の雉子は、

撃たれてさ、その鉄砲の良(ゆ)う当たって、

雉子は飛び立たんやった、

その雉子ば、死んだとば取いぎゃ行たて、

聟さんが下げて来たて。そいぎぃ、

この様子ば嫁さんが見てさ、

心がとても優しかったもんで思わずね、

人んため父は黙って人柱

雉子も鳴かずば撃たれまいに

て、もうその、きれいか声で言いんしゃったてやもん。

そいぎぃ、その聟さんな、

「お前(まり)ゃ唖じゃなかった。

唖じゃなし良かったねぇ」て言うて、

その橋ん上で二人抱き合うて喜び涙にくれて、

「さあ、親ん所(とこれ)ぇ、帰らじ良か。

ひん戻ろう。家さ帰ろう。

さ、こいからひき帰そう」て言うて、

二人は帰んしゃったて。

そいばあっきゃ。

〔本格新四六 長良の人柱〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る 843話 P258)

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