東川登町袴野 南 権平さん(明31生)

 秀吉公が生魚(なまざかな)を北海道から貰うたていう話やんもんなたあ。

そいぎその、名前は何て魚か知った者なし。

「そや、曽呂利が魚の名は知ったろう」と言うて、曽呂利新左衛門に、

「この魚は北海道から貰うたと。あの、何ていう魚か」と。

そいぎぃ、そいが見ゆっとよい(はよ)う、

「その魚は、グウラグウです」と、こう言うたてぇ。

そいぎもう、豊臣がそいを見て、

「あの、新左衛門がわが口から出くいやにその、

言いなおしのうまかにゃあ」て、言うごたっ風で、

「そいばしばらく(へぇ)てカラカラさせて、

そうしてまた、その、みやげを貰うたけん、

こりゃあ何て言うか」て。そいぎぃ、

「カンカラカン」て、こう言うたもよう。

そいぎぃ、豊臣がその、

「お前はその、(たん)ねしゃぎゃすっぎぃ、わが勝手なことを言う」と。

「『ブウラブウ』て、名前を言うとって、もう(おす)うにゃあ、

『かンカラカン』て。

お前はその、勝手なこと」て、こう豊臣が。そいぎぃ、

「するめはどうですか」と。

「あの、いかを()せばするめになる」と。

「『ブウラブウ』が干したとじゃっけん、

『かンカラカン』になりました」て。

そいぎ豊臣も、もう閉口したもようたいなたあ。

そいから今度(こんだ)あ、あの、豊臣が、

「あの、米ば袋一杯(いっぴゃあ)ください」て。

「うぅん。袋一杯の米は大安いこと。あの、くりゅう」と。そいぎその、

「『袋、袋』て言うても、袋に入れてそいを持って行けやあ、

えいじんの袋ば被せてすっぎ良かこと」

「そりゃ、袋の(なき)ゃあ入いしゃぎゃあするぎくるっ」

そいぎぃ、西の米倉(こめぐら)ば袋に被せてくりゅうで思うて、あの、家来どもに

曽呂利新左衛門がわが、自分の家来どもに言いつけて、

袋ば太う太う作って行て、

そして西の米倉にその、被せたて。

「もう、お貰いします」と。

そいぎぃ、ビックイして。

「そいば被せた、もう取って良か」て言うといどっ、

そりゃあ、(あんま)いしか」て、言うごたっ風で、

もう豊臣が断わったという話もあんもんなたあ。

そいから今度あ、豊臣秀吉公が朝鮮征伐ていうてもう、

何日も日延べをしたらしかですよ。

そいぎ秀吉公に、あの、曽呂利新左衛門が、

「歌詠みをします」て。

「どぎゃん歌詠みか」て。

大公が大公が一石米買うのに

今日も五斗と明日も五斗なり

て、こう作ったもようです。

そいぎぃ、大公さんも、もうそれにゃあ気色が悪かったもようないどん、

もう朝鮮征伐ば明日(あしちゃあ)する、明後日(あさって)すっちゅうごたっ風で、

そいが大抵長ぬんだちゅうもんなたあ。

そいで、そう言う風に曽呂利新左衛門が

歌うちゅう歌も聞いとったいなたあ。

(出典 未発刊)

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