伊万里市波多津町田代(名前・年齢不詳)男性3

 波多三河守がですね、あの、

朝鮮征伐の折、豊臣秀吉のその時に滅びるわけでしょうが。

その時に、あすこは、岸岳城はですね、山上に建てよって、

水がですね、あの、なかなか不便なところでしたからですね、

あの岸岳城からですね、ズーッとあの、掘ってですね、

佐里のいちちりびというところがあっですね。

そこまであの、穴を掘っておってですね、

そっこからあの、水をあの、汲み上げよったわけですよね、潮の水を。

ところが、あの、その戦争の時、あの、波多三河守の家臣で、

あの、その家老がですね、自分があの、

波多三河守を取ろうというところの、野心があるもんだからですね、

あの、それを知っとったわけですね。

それで、あの、岸岳城を落城させるほういのけいをとったわけですよ。

なかなか頑丈にして岸岳城がつぶれんもんですからね。

あの、水攻めにたったわけですね。

それで、あれをその岸岳城を水攻めにするためには、

あの、佐里のいちちりびを塞ぐよりほかないと。

それをしたら一望打診だと言うようなことだったわけですね。

あの、それで(なん)なく、あの、くぎれるわけですけど。

しかしながら、波多三河守の家臣もですね、

それをあの、月の夜にですね、非常にあの、攻むる時に、

向こうは人間に向かっているから、こっちは水が豊富にあるということを

知らせなくちゃいかんて、言うようなことで、

月の夜にですね、馬を出してですね、

白米をボンボンボンかけまわったぎですね、

ちょうど水で馬を洗っていると言うようなことを見せるために白米をしたと、

言うようなことですね。

そうして水のかけりつはやっぱり、感動しとられた。内部からもれた力ですね。

それは何か国の岩と言うことですね、

外からはよしのびきのゆうばいを、内よりやぶる国のいざかなた

というふうなことですね。

内から漏れたもんですけから、

岸岳城は何なく没したというようなことなんですね。(1男談)

私はですね、馬を白米で洗うでしょ。

そしたら下に白米が溜まっでしょうが。

足元にズーッと白米が溜まったもんじゃい、真っ白見ゆっでしょ。

そいで、水ならその、足元に白うなっはずなかて。

そいけん、水ではないということがわかった。(2男談)

(出典 未発刊)

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