嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーし。

夏の暑い夜(よ)さいにさ、若(わっ)か者(もん)達が四、五人、

山道にガヤガヤ、ガヤガヤ話しながら夕涼みをして、

ブラブラ歩きおったちゅうもんねぇ。

あったぎぃ、向こうの方からさい太(ふと)ーか火の

フワーフワーこっちさい飛うで来(く)ってぇ。

若か者どま、

「あら、何(なん)じゃろうかあ」ち言(ゅ)うて、ビックイしたとおう。

震えよっ者(もん)もおったとよう。

あいどん、そん中の一(ひと)人(い)が、

「ああ、ありゃあ、人魂たい。そいぎぃ、あの青か火ばさい、

左の袖で受けてばい、あっこにさいほたい返すばい、

俺(おい)が」ち言(ゅ)うて、早速左の袖ば、こう、ペーッと広げて、人魂ばひっ包んで、

「ヤー」ち言(ゅ)うて、向こうから飛うで来(き)た家(うち)さい投げ返したちゅう。

恐ろしかその若か者は豪快やったちゅうもんねぇ。

そいぎねぇ、赤(あっ)か火、青か火は、

そいから先ゃいっちょん見えんやったちゅうもんねぇ。

あったいどんさ(ソウシタラサ)、その青か火の出て来た向こうん家(うち)ではねぇ、

お爺さんの長(なご)う病気しとんさったちゅうもん。

そしてもう、医者さんからも、

「とても治(ゆ)うならんばーい」ち言(ゅ)うて、

見放されといんさいたちゅうもん。そうしてもう、

「いよいよ今夜はお浄土行きじゃなかろうかあ」ち言(ゅ)うて、

痩せ細いしとんさっもんじゃい、

親戚ん者(もん)も全部(しっきゃ)あそこに行って寄っとんさったて。

そうして、とうとう息の切れんさったちゅうもんねぇ。

「ありゃあ、とうとう死なした」て言うて、

息子さんでん婆ちゃんでん。婆ちゃんな、

「長(なん)か病気できつかったのまい。辛かったろう」

て言うて、泣きよらしたちゅう。

そいぎぃ、一時(いっとき)したぎねぇ、

そん息ん切れたお爺さんのさい、目をパチーッと開けてねぇ、

「わさん達ゃ、なして泣きおっとにゃあ」て、こぎゃん言いなったちゅうもん。

そいぎぃ、全部(しっきゃ)あそけぇ寄って来とん者の驚くこと驚くこと、

もう誰(だい)でんビックイたまぎゃあたて。

そいぎねぇ、こがんしてねぇ、生きあがいんさったちゅう。

そいぎねぇ、あの、若者からねぇ、左ん袖で人魂の飛うで来(く)っぎさ、

そいぎぃ、そいば受けて。そうして、そこの死ん者の家さにゃ投げ返すぎぃ、

人間のまた息ばふき返して生きあがって、いうことば、あの若か者な知っとったて。

あったぎねぇ、そいから先ゃねぇ、もう長(なご)うその爺ちゃんなねぇ、

元気になってさ、長ーう生きんしゃったてよう。

ねぇ、一遍なもう痩せひごくで、パーッと、息ん切れて死にんさったとのねぇ。

そいけん、そいから先ゃ、その村ではねぇ、

「青うか火の玉の飛うで来っぎぃ、左の袖に包んで、

そうして、パーッと、飛んで来た所(とこ)さにゃ、投げ返すぎ良うか」

て言うて、誰(だい)ーでんそぎゃん話おいさいた。

若か者な、そのことば知っとったとじゃっんもん。

ばあっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P828)

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