嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしね。ズーッと昔のことよ。

お盆もようやくすんで、盆の十六日、恐ーろしゅう天気の良かったちゅうもんねぇ。

そいぎねぇ、ある漁師さんは、

「島原の家内の家(うち)にお見舞(みみゃ)あばしとらんやったけん、

行こうかい」て、言んしゃったてぇ。

そりゃねぇ、住の江(佐賀県杵島郡白石町)ていう港から

舟で行きんさいたとよう。

空は澄みきって、風いっちょんなし、ほんに良か舟出じゃたてぇ。

そうして、お父さんとお母さんと、そいから小さな娘さんと三人、

「島原のお母さんの家へ行く」ち言(ゅ)うて、いろいろのおみやげどんを積んで、

舟がズーッと海ば来おんしゃったぎぃ、有明海のさい、真ん中ん辺(たい)に来た時、

恐ーろしか真っ黒か雲が出てきたちゅうもんねぇ。

そうして、黒か雲の見えたと思ったぎぃ、ザーッと波の高(たこ)うなって風も出てきたて。

「ありゃ、今朝の出立ちはあぎゃん良か日和じゃったいどんねぇ」て、

言うてさい、恐ーろしゅう波の高う寄せて舟はひっくい返(かや)っごとなったちゅうもん。

そうしてもう、だんだん、だんだん、風も雨も降って。

そうして、舟は木の葉のごと揺るっもんじゃい、

「こいじゃ島原まで行かれん。舟ば着けんばねぇ」て言うて、

満江(みつえ)搦(佐賀県杵島郡白石町)ていう所がじき近かったもんじゃい、

そこに舟ば着きゅうで思うて、お父さんは急ぎんしゃったて。

舟ば漕ぎんしゃったて。

そいどん、風があってかなかな進まんちゅうもんねぇ。

そいぎねぇ、そん時にもう、向こうの方も

舟も大抵(たいちぇ)小(こま)か舟の沈むごとしょったちゅう。

そうして、その小まか舟の寄って来て、

「あの、水の入(ひゃ)あって困っけん、柄杓(ひしゃく)ば貸(き)ゃあてくんさーい」

て、言うもんじゃい、お父さんは我が持っとったその舟の柄杓ば、

「そらー」ち言(ゅ)うて、貸しんしゃったちゅうもん。

そうして、こりゃ、満江に上がらんば先(さき)ゃ進まれん、と思うて、

お父さんひとりがその石崖ん所にビーンと跳び移って、

舟ば繋ごうでんしんしゃったいどん、ちょうーどそいと同時に、

太か波の、山んごたっ波の押し寄せて、その舟はクラッと引っ繰い返(かや)って、

波の所(とこ)まで行たいろう、もう舟もお母さんも娘さんもわからんごといちなったてぇ。

「おーい。おーい」て、声を限りにお父さんは呼びんしゃったけど、

何(なーん)も波風の音ばかいで聞こえんじゃったて。

お父さんは随分その土手を行ったり来たり、行ったり来たりして、

子供とお母さんを捜したが雨風は酷うなるばっかい、

とうとう舟は上がってこんじゃったちゅうよ。

そいぎねぇ、お父さんは近くの村に行って、助けを求めんさったいどん、

また翌日も行きんしゃったいどん、とうとう舟もねぇ、

お母さんも娘さんの姿も上ってこんやったて。

そいぎもう、一週間も捜しんしゃったいどん、お父さんはあきらめて、

「私ゃもう、二人の魂を弔(とむら)うほかなか」ち言(ゅ)うて、

六通寺ていうお寺に登って、海の見ゆっ所で、そうして、お坊さんになってねぇ、

その娘さんとお母さんの供養ば長(なご)うしんしゃったて。

そりゃねぇ、海の上でねぇ、舟に乗って死んだ者の、

「柄杓貸せぇ」ち言(ゅ)うて、盆の十六日は来(く)って。そいけんねぇ、

そん時ゃ、柄杓ば貸す時ゃあ、底ばうっぽぎゃあて(底ヲ抜イテ)、

底のなか柄杓ば貸さんぎぃ、あがんして舟ば沈まかすてよ。

舟で死んだ者の幽霊どんがねぇ、沈まかすて。そいけん、

「盆の十六日は絶対、海には出(ず)っことなん」

ち言(ゅ)うて、昔から言い伝えがあった。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P829)

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