嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 秋月城(福岡県甘木市北部)はねぇ、あの、とても小藩(しょうはん)だったって。そいで、あれ、大友宗麟がまず攻めて来たそうです。

懸崖擁護で後ろは険しい山で、大変あの、良(よ)い位置にあったけど、小藩で兵隊が少なかったわけですね。

そいでもう、大友宗麟の軍隊が多いていうことがわかっとったから、自分の腹心を秀吉に援軍を頼みに、決死の、あの、やったわけです。ところが、「秀吉が、もうこっちのことで精一杯で、九州まで手が回らんから、もう来(こ)ない」と。「もう、そちらが負けるなら、惜しいけども、負けていっちょけぇ」て。

本当はねぇ、秀吉に援軍を頼む時にきれいかお姫さんを、秋月のお殿さんは持っておられたから、そのお姫さんでも差し上げていいとまで言(ゆ)うて、その書状に書いてあったらしいって。けれども、「どうしても九州までは手が延びない」と。「自分がこっちを守らんと、こっちが危ないということで、来(こ)ん」て言うて。

そいぎぃ、来(こ)ないということを聞いて来た、あの、使いの者(もん)は、もう、門司ん辺(にき)で、あの、待ち構えて殺したらしいですねぇ。そいぎぃ、うちの家老さんじゃなか、その使いが内命ば受けて、秘密文書ば持って行って、帰いおったら、来ないということは、もうはっきりわかっとったから、もう途中で待ち伏せして殺されたて。そいぎぃ、自宅の方にもやっぱい家来ば持っとんさった。

そいで家来やら、奥様やら、奥方やら、そいから使用人一切がね、その自宅で秋月城下で自刃(じじん)したわけ。そこに大ーきな石があっ。あそこ見ゆる所におっですよ。でも場所もほーんに良かのに、大友宗麟、とうとう多勢に無勢で負けてしもうたて。惜しいことやったっていう話。

〔一二三 自然説明伝説(城)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P812)

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