嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

殿(とん)さんのう、ようあの、本通りば通いよんさって。

あいどん、周りに働きおる百姓達ゃ、じきーお殿様の行列通っぎぃ、

「下にー下にー」ちゅう声の遠か所からしてくるっぎぃ、

もう草履でん下駄でん脱いで、

「はーあ」ち言(ゅ)うて、地べたにしよったてじゃんもん。

ところがもう、良(ゆ)うその殿さんの行列の道のきれいになってから、

そこば通ったてぇ。

そこはちいっと(少シ)坂道やったいどん、

ほんに本通りのごときれいかったちゅうもんねぇ。

あったぎねぇ、ある日のこと、麦のできて忙しゅうしてたまらん時じゃったいどん、

遠ーか所(とっ)から

「下にー下にー」ち言(ゆ)う声の聞こえたもんじゃい、

周り麦刈りしおった者(もん)は全部(しっきゃ)あ道の両脇に出て、

「はあー」てしとっうち、

だんだん行列の近(ちこ)うなって、こういったて。

あったぎぃ、向こう側の行列にねぇ、何(なん)か子供のさ、

こっち側におっ母(か)さんが一生懸命

「はあー」てしとっとの、

「おっ母―。おっ母―」て言(ゅ)うて、両手を広げて、

まあーだ殿さんのほんなそこまで来んさっ時、

横切って通んさっちゅうもん。

あったぎぃ、つゆ払いちゅうか、先に行きおっ侍がね、

「こりゃ、無礼―」ち言(ゅ)うて、その子ばいち斬ったて。

そいぎぃ、おっ母さんの目の前でその子の死んだちゅう。

そいぎぃ、そのおっ母さんの子を抱きかかえて、

その、一日中、あくる日まで泣きおんさったちゅうねぇ。

あったぎそいからばい、そこでねぇ、手をタンタンて叩きぎね、

「はあー、はあー」て言うて、溜息をしてすすり泣く声の聞こゆっちゅうもん。

長(なご)うここを通るたんびに、知らん者(もん)はなにげなく通いどん、

知った者はねぇ、その道の端に立って、タンタンて手ばたたくぎね、

「ああー、はあー」ち言(ゅ)うて、サメザメと泣く声の聞こえおった。

チャンチャン。

[一二一 自然説明伝説(山)]
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P811)

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