嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 六通寺ていう大きな山の上にお寺があんもんねぇ。ところがねぇ、そこの本堂の柱からはさ、手がニョキッて出て、必ずお堂に詣(みゃ)あいよん者(もん)ば引っ張っちゅう。そいぎぃ、誰(だい)ーでん引っ張らるんもんじゃい。お堂まで行かんわけねぇ。

「怖(え)すかにゃあ。怖すい」て、ねぇ。

そいから本堂の上ん方ば、こうして見っぎねぇ、猫のドカッと天蓋(てんがい)の上に座っとっちゅうもう。そいぎぃ、そいまた不思議で、

「あの猫見おっぎ怖(え)すかあ」ち言(ゅ)うて、本堂には誰ーも行かんごとなって、一時(いっとき)ばっかいはねぇ、その寺は坊さんでんおいえんごとなったて。

そこにねぇ、京都からさ、恐ーろしか偉か坊さんが来(き)んしゃったてばい。そいぎねぇ、その坊さんなほんに精神統一のできとんしゃったてぇ。そうしてねぇ、あの、ちょうどその坊さんが六通寺に来(き)んさってから、余(あんま)い長(なご)うならん時にねぇ、泥棒がさ、ぎゃん太か寺じゃっけん、お金の沢山(よんにゅう)上がっとるに違いなかあとみて、壁に穴ば開けてそっから泥棒の中に入ろうだいと思うて、ゴソゴソしおったてじゃんもん。そいぎぃ、坊さんなねぇ、チャーアンとお堂におってねぇ、泥棒の来(き)っとを知っとんしゃったて。そうして、

「これ、これ、小僧や。銭(ぜに)を持って、そこん方に来(き)おっけん、銭(ぜん)欲っしゃ来おっけん、銭ばやれ」て言うて、泥棒に銭ばやんしゃったて。そいぎ泥棒も、

「ここの寺の坊さんは偉かにゃあ」ち言(ゅ)うて、恐ーろしか感心してさ、そいから先ゃそのお寺には寄いつかんやったちゅう、ねぇ。

その和尚さんな恐ろしか偉かったとばい。そいでもう、六通寺に来(き)んさいた時も随分年も取ったごたっ老和尚さんじゃったとがねぇ。和尚さんは、我がはもう病気はしんさらんじゃったいどん、

「もう、何時(いつ)何(いっ)日(か)の日は死ん」ち、言うことのわかんしゃったて。もう死期ば悟っとんしゃったて。

そいぎぃ、戒名もねぇ、我がからさ、チャーアンと何々ち言(ゅ)うて、戒名もつけて、お棺ば小僧さんに買わせて、お棺に入ってねぇ。そうして、そのまま死にんさったて。そいから先ゃ六通寺は、とうとう和尚さんは誰(だーい)もおらんごとなって、寺が絶えたちゅうよ。

そういうことです。

今、寺はなかもんね。屋がたも石ばっかい、大きな石ばっかいあります。それは化物寺と言います。

〔一〇七 自然説明伝説(石)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P798)

標準語版 TOPへ