東川登町袴野 南 権平さん(年齢不詳)
むかし、あるところにすり鉢売りの男が住んでいた。
ある日、その男はすり鉢売りに行っていたら、途中で夕立ちにあった。
すり鉢売りの男は土手の下に行き、そこにすり鉢は置いたまま雨やどりをした。
ところが、すり鉢売りの男は雨やどりをしている間に、いつのまにか眠ってしまった。
そして、夢をみた。
すり鉢売りのところに、夢の中で弓矢を持った侍がやって来た。
そして、侍は、
「おまえ、すり鉢売っているか。
おれは毛利家の浪人で、いまは弓の師範をしているぞ」
と、すり鉢売りの男に言うと、
「あぁ、そうですか」と、すり鉢売りは言った。すると、
「すり鉢売りと弓の師範と代わろうか」と、侍は言った。
「いいえ。私は弓は一度も射ったことがなかけんが、
代わってしまってもどがんしゅうもなかけん【どうしようもない】」
と、すり鉢売りが言うと、
「いいえ。すり鉢売りと、ぜひ代わろう」と、侍は言った。
そして、すり鉢売りは弓の師範としぶしぶ代わってしまった。
弓の師範と代わったすり鉢売りの男は、城山には太か猪のいるということだったので、
自分も射ることができるだろうか、と思って、弓と矢を持って行った。
そして、鍋島のお殿さまの屋敷へ行き、
「頼もう。頼もう」と言うと、
「誰か」と、門番が出てきたから、
「毛利家の弓の師範だ。猪ば一本の矢で射ることがでくっ」と、
すり鉢売りの男はうそを言った。
門番は、そのことをお殿さまに告げると、その師範を通せということになった。
すり鉢売りは奥の座敷に通され、その晩はそこに泊った。
ところが、すり鉢売りの男は矢を一度も射ったことはなかったので、
あすの猪狩りのことが気がかりになり、その晩は眠りつくことができなかった。
だから、すり鉢売りは起き出し、奥座敷の柱を的にして弓のけいこをしていた。
しかし、はずれ矢がパァーッとしたとき、人の悲鳴が聞こえてきた。
すり鉢売りは、はずれ矢が人に当たったと思い、寝床の中にもぐり込んだ。
しばらくするお、奥座敷の襖が開いた。
すり鉢売りの男は、人を殺してしまい、猪狩りどころではなく、
打ち首にあうと思い込み、恐ろしくなって布団をかぶっていた。
「毛利家の弓の先生。ただいま裏門のところで千両箱を持った泥棒が、
塀を越えようとするところを射ってくださって、ありがとうございました。
泥俸は左の目を射られ塀から落ちました」と、家来が言ったから、
「近頃は弓の練習もしていなかったから、
右の目を射ったと思っていたが、左の目に当ったとですか」
と、すり鉢売りは本気らしくうそを言った。その晩のうちに、
弓の名人という評判が屋敷中にひろまった。
よく日、すり鉢売りは猪狩りに城山へ案内された。
ところが、六尺ほどもある大蛇がすり鉢売りの近くにやってきたので、
恐ろしくなり木に登って逃げた。
その木まで猪はやってきて、その下に寝ころんだ。
すり鉢売りはますます恐ろしくなった。
しばらくすると、すり鉢売りは猪がゆき倒れたことに気づいた。
そこで、猪の首にすり鉢売りは矢を打ち込んだ。そして、
「猪は、ただいま射ち止めました」と、すり鉢売りは大声で叫んだ。
しばらくすると、お殿さまは家来とやって来られ、
猪の首に矢が当っているのを見られて、感心された。そして、
「養子にする」と、お殿さまはおっしゃった。
しかし、すり鉢売りはお殿さまの養子になりたくないと思っていたところで目が覚めた。
すり鉢売りは目が覚めてから、自分はお殿さまの養子にならなくてよかった、
夢で本当によかった、と思った。
やはり、自分はすり鉢売りがいちばん適していると、つくづく思った。
(出典 佐賀の民話第一集 P168)