嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

村々にねぇ、越中富山ちゅう寒か所(とっ)からねぇ、こがん肥前の国まってん入れ薬屋さんの背中にいっぱい薬ば背負(かる)うて、入れ薬屋さんのねぇ、そいでもう長年なる身じゃったけん、この人は、ほんに俳句作いが上手じゃったて。そいぎねぇ、村にも俳句をほんにもう、嗜(たしな)む者(もん)がおってねぇ。そうしてもう、わり裕福な家(うち)の人が俳句どん道楽にしおったもんねぇ。そいであの、何時(いつ)ーでん泊まる家(うち)があったて。そこはわりは物持ちの家(うち)やったて。そこの家(うち)もご主人も息子さんも俳句作いよったて。

あいどん、入れ薬屋さんのほんに俳句作いの上手てじゃん。あったぎねぇ、あの、その、越中から来(き)んさん者(もん)の、

「私ゃもう、天神さんばほんーに信仰ばしといどん、なかなか天神さんに、もうシックイお参りしたごとなかあ。ある日、お縁からこうして、こなた向こうん方ば見よっとぎぃ、あつけぇお祭いしちゃあったどなたば祀っちゃんなたあ」ち言(ゅ)うて、その泊まったお家(うち)の檀那さんに聞く。

「なーい。あつここそ天神さんば祀っちゃばんたあ」て、言んさったて。

「あらー、左様でございますか。私(あたし)ゃ一遍したしたと天神さんにお参りしたかあ」て、言んさったて。

「ああ、お安いご用。そいぎぃ、天神さんに参(みゃ)あった俳句どん良かとのでくっかわからん。一緒にお供して参りましょう」て、言うことでねぇ、参ろうでしおんしゃったぎねぇ、恐ろしか良か天気じゃったとん、やにわに黒か雲のできて、ゴロゴロゴローっていんさって。

「あらー。雷さんの鳴っごたっ。濡れてはまた、そいぎ後にいたしましょう。夕立やっけん、じきやむじゃろう」

そいぎななか夕立ゃあ、後から本降りになって雨のやまんそうです。

「こりゃ、困ったにゃあ。あの、お泊まんさい。家(うち)ゃ何時(いつ)まで泊まんさっても良か」て言うことで、また一晩泊まって、

「今日―はからりと晴れて、とても夕立も来そうな天気じゃなか。今日こそ参りましょう」て、言うてねぇ、あの、息子さんも三人連れで、出かけんさいたてぇ。

(その見ゆっ所(とけ)ぇ天神さんのあっとよう。)天神さんの森ん辺(にき)近くまで来んさったぎね、あったぎぃ、そぎゃん天気の良かとけぇ、ピカーッゴロゴロていうてじゃんもん。そいぎぃ、その檀那さんてん息子さんてんは、余(あんま)い怖(えっし)ゃ、もう頭ば抱えて一瞬に家(うち)さい帰んさって。もう、じきやむかわからんところれぇ、あがんなし恐ろしゃしんしゃろうか。雷さんば怖ゃすん者あっけど、恐ろしゃすん者は初めて。そいぎぃ、しよんなかもんじゃあ(仕方ガナイモンダカラ)、その息子さんもお父さんもねぇ、家さい帰んさったて。

「あんさんな、雷さんなよっぽど怖いとみえるなあ」ち言んさって。

「訳があります。聞いてください。私は、実を言うぎ大昔は先祖は、藤原時平公が先祖ですよ。ところが、藤原道真さんな、九州の大宰府に流されたとぜしょう。そいぎねぇ、もうその天神さんな死んでから、もう恨みの玉となって、その、雷さんになってつかみ殺しんさったて。その名残りのあって家(うち)の者(もん)には、もう我が天神さんに参(みゃ)あいぎゃ行こうですっぎぃ、雷さんの鳴る。そいでもう、雷さんがようなか」て。「この雷さんは家(うち)では、親戚までいちーばん恐れて、あぎゃん時平公までつかみかられんごとと思うて、恐れなしとります。雷さんほど世の中に怖い物ありません」ち言(ゅ)うて、ほんなごて恐ろしかろごとして話しんさいた。

そいで、とうとう目の前に天神さんの森は、そこには参らずしまいじゃった。

チャンチャン。

〔七六 文化叙事伝説(精霊)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P764)

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