嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかーしねぇ。
もう、今年んごと一向も雨の降らん夏があったちゅう。もう、雨ば待っとっても待っとっても降らん。そいぎもう、ある百姓のお爺さんがねぇ、孫ば畑に連れて行たて、
「ぎゃん(コンナ)雨の降らんどん、蕎麦(そば)ば蒔こうねぇ」て言うて、蕎麦ば蒔いたちゅう。
そいぎぃ、その孫も蕎麦ば大好きじゃったちゅうもんねぇ。そいぎぃ、
「蕎麦は何時(いつ)でくっ。蕎麦は何時でくっ」て、その孫が聞くちゅう。
「さあ、今年のごたっ(ヨウニ)、ぎゃん日照りの年は、蕎麦は生(お)ゆっか、どがんじゃいわからん、わからん。お前(まい)が蕎麦ば食べらるっかどうかわからん。こりゃあ、どがんじゃい今年ゃわからん、わからん」て、爺さんが言うと、そいぎその孫は、チョロチョロ、チョロチョロ畑さい行たて見おったて。
あったぎねぇ、三日ばかいしたぎ蕎麦の生えとったてじゃっもん。
「お爺ちゃん、お爺ちゃん。あの蕎麦の生えとったばい。芽の出おったあ」
「そうかあ。良かったない」て言うてから、おんさったけど、また十日ばっかいしたぎぃ、孫が爺ちゃんの側で、
「爺ちゃん。蕎麦が伸びてきとっよう。見に行ってみゅう」て言うて、二人で見に行きましたと。そいぎぃ、ほんなこてねぇ、蕎麦がこう伸びとったてぇ。
「こぎゃん伸びたら今年ゃ、じき食べらるんねぇ」て、孫が言うたら、
「いんにゃあ(否)、わからん」
爺ちゃんに聞いても聞いても、「わからん。わからん」て、言うもんねぇ。
「なし、わからんとう。こんなになったら実がでくっけん、あの、蕎麦のでくっじゃろうもん」と、文句のごと言うけど、
「いんにゃあ、わからん」て。
「そう」て言うて。
そいからまた、半月ばっかい経ったぎねぇ、もうその、何(なん)の仕事もないもんだから、孫はまた行ったぎぃ、もう畑いっぱい真っ白花の咲いとったて。
「お爺ちゃん。花が咲いたから、もう確かに蕎麦が食べらるっよう」と、言うたけど、
「いんにゃあ。あせがんなあ(セガムナ)、わからん」て。「お前(まい)の口に入っじゃい、どがんこっちゃいわからん」と、相変わらず爺ちゃんは、「わからん」て言うて。
おかしかねぇ、と思うとったけど、そのうちに三角の黒か実がなったて。
「良かったなあ。爺ちゃん、早(はよ)う刈らんばあ」ち言(ゅ)うて、孫は急ぎ立てて、粉に挽(ひ)いてもらってねぇ。そして、
「爺ちゃん。ほら、粉に挽けてきたけん、早う蕎麦かけをしてよう」て言うて。
「うん。してやろうない」て、言うてから、そのお爺さんは孫にねぇ、
「さあ、茶碗ば持ってけぇ。これ」ち言(ゅ)うて、我が入れてね、
「さあ、囲炉裏ん端で食べろ」て言うて。
「食べていいねぇ」て。
「うん。食べて良か」て。
そいぎぃ、孫がもう、嬉しくてたまらんで箸でグルグル、グルグル、その蕎麦ば混ぜよったて。
「食べて良かとねぇ」て、言うたから、
「そうだよう」て、爺ちゃんが言んしゃったて。
そぎゃん言うた拍子に何のことじゃいねぇ、クラーッと、囲炉裏の灰の中にその蕎麦ばさ、引っ繰い返ったてぇ。そいぎぃ、お爺ちゃんの言んしゃっには、
「それみろ。ここまでできてもわからんじゃろうがあ。食べらるっこっちゃい、食べられんこっちゃい、わからんやろうがあ。だから、爺ちゃんは「わからん」て言うたと。
そいばあっきゃ。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P611)