嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーし。

ある所に兄弟二(ふた)人(い)と、お母さんと暮らしおったてぇ。

兄さんの方は、ほんに真面目で良(ゆ)う働きおったいどん。

弟の方は、気が荒うして人とは喧嘩はするし、

早(はよ)うから酒は飲んだくれになるし、博打うちもすっ、

ほんの心配の種の悪(わる)じゃったて。

兄さんが真面目に働いてくれるもんだから、

どうにか暮らしが立つが、

お母さんは弟の方に何時(いつ)も頭を痛めよったちゅうもんねぇ。

そうして、

ある日のこと、

弟が博打につん負けて一文もなしになって、悪知恵ば出して

兄さんば騙(だま)くりゃきゃあてやろうかあ、と思うて、

浄瑠璃の本ば買うて来て。

そうして、

兄さんに、

「兄さん。良か物ば買(こ)うて来たよう。

これはねぇ、『祈禱師の本』ちゅうて、

ただ読むだけで頭の割るっごと痛かとでん何(なん)でん、

こいに書(き)ゃあちゃあっごーとすっぎぃ、じき治(ゆ)うなっ」

て言うて、

「こいば買え」て言うて。

そいぎぃ、

「おっ母(か)が『腹ん痛か』ち言(ゅ)うて、寝とろうがあ」

(何のそれは作り病気して、

「お腹が痛かー」て言ってくれよ、と説き伏せとったて。)

そいぎ

兄さんが、

「おっ母あ、お腹が痛いのかあ」ち言(ゅ)うたて。

「はあ、痛いよう。痛いよ、死ぬごたっ」

て、お母さんが言うもんだから、

弟は、

「ほら、『痛か』て、言いよろう」

「そうか。そいぎぃ、あの祈禱の本ば読んでみゅうかあ」

て言うて、浄瑠璃の本ばパラパラパラって、めくって、

「アブラケンソサワカー、アブランケンサワカー、ムニャムニャムニャ」て、六、七遍ぐりゃあ言うたろうと思う。

「プーッ」と、息どん吹きかけて、

「おっ母(か)あ、どうか。治(よ)くなったろう」て、言うたぎぃ、

「いい塩梅(あんばい)にお腹(なか)が治(よ)くなったよう」

(なんの、二人約束しとっもん、治(なお)ったて。)

て、お母さんは言うたて。

そいぎ

兄さん、

「おっ母あ、治(よ)くなって良かったなあ。

ほんまに痛くないかあ」

て、言うたぎぃ、

「そうだよ」て、お母さんは言うもんで、

「良かったねぇ。

そりゃあまた、良か呪(まじな)いじゃあ」て言うて、

兄さんもその本が欲しくなったもんだから、

「そいぎぃ、その本は幾らで売っとっかあ」て、聞いたら、

「五両で良かろうだーい」て、言うもんだから。

そいぎぃ、その本ば兄さんはとうとう買うたちゅう。

そうして、四、五日も経ったぎぃ、

隣の婆さんがまた、本当に腹痛ばして、

「早(はよ)う、お医者さんば呼んで来い。早う、呼んで来い。

もう、もてん。そら、死ぬごたっ」ち言(ゅ)うて、

隣は大騒(ううさわ)ぎしおったから、

兄さんは良か心を持っとったから。

そいぎぃ、

この本ば読んで聞かしゅうで思うて、

「アブランケンサワカー、アブランケンサワカー」て隣に行たて

一生懸命に何十回となく唱えてやったて。

そいでも痛さは、いっちょん治らじぃ、

とうとう夕方に死んでしもうたて。

そいぎぃ、

隣(とない)の者(もん)から

恐ろしゅう歯痒(はがい)かかれて。

そうして、

自分は根っから良か人な者だから、気の毒でたまらん。

そいぎぃ、隣の者なまた、

「あん畜生、弟も兄貴も悪か」て、言いおったいどん、

兄さんは、

「あん畜生、弟が帰って来っぎぃ、今度は堪忍せんぞ。

俵ん中(なき)ゃあ押し込めて海さい流(なぎ)ゃあてくるっ。

あいがお陰、隣とも仲の悪うちいなった」

て、兄さんは本気で怒っとったあて。

「我が兄弟ば騙(だみ)ゃあて」て、怒っとったて。

そいぎぃ、

何(なーん)て思わんで、

そのお父とがテクテク帰って来たちゅうもんねぇ。

「こりゃあ、兄さんの顔潰しのようなことをして、

騙(だま)くりゃきゃあて、

お前のお陰、酷か目おうたぞ。

隣の婆ちゃんも死にんしゃったあ。

お前(まり)ゃもう、隣にもほんに申しわけなか。

恥ずかしか目に合わせて、お前を海さい流さんば」

て言うて、俵に入れて、

そうして、

兄さんは本気で怒って、道ばズーッと行きよったて。

あったぎ

途中に村芝居しよっ所(とこ)のあったけん、

ヒョッと見おったぎぃ、

つい兄さんは、その芝居に見とれてしもうたあ。

そいぎ

弟は、その俵中(なき)ゃあ入っとったぎぃ、

もう、魚屋(さかなや)のかねて来(く)っとの

目はショボショボさせて、

目の悪かとば弟はかねて知っとったぎぃ、

そいがやって来おったて。

そいぎ

弟が、俵ん中で、

「目の養生。目の養生」て、高(たか)う高うと喚(わめ)いて、

言うたちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、目の悪か魚売いが近く来たぎぃ、

俵ん中(なっ)から声のしおっ、と思うて、寄って来た。

そいぎ

弟は、

「ああ、目の養生じゃあ。ここん中に入るぎぃ、目の病いが治る。

良(ゆ)う見ゆっごとなる」

て、言うたて。

そいぎぃ、

「本当かあ」ち言(ゆ)うて、その魚屋が聞くぎぃ、

「そうだよ。

そいけん、俵ん中(なき)ゃあ入っとっとぞう。

俵ん中ゃあ入っとっぎぃ、目が治って良(よ)うわかっ」

て、言うたもんだから、

「そいぎぃ、俺(おい)も目の悪かけん、そけぇ入れてくいろう」

て、魚屋が言うたから、

男は、

「そいぎぃ、私(わし)をこっから出(じ)ゃあてくれ。

私(わし)はもう、見ゆっごとなったあ」

て、言うたから替って、

魚屋さんを俵ん中に入れた。

そいぎ弟は、シッカリ縄を括(くび)って元んごとしとった。

弟は何(なん)も目は悪くはなかった

きれいな目をしとったそうです。

そうして、

外さん出て魚屋さんに、

「お前(まい)は、ここん中でシッカイ見よれぇ。

そいぎぃ、目が治(ゆ)うなっ。

良く見ゆっごとなっ。

私(わし)は何処(どこ)うでん良(ゆ)う見ゆっぞう」て言うて、

あっちさい行た。

そいぎ

兄さんな、芝居が我が思うとこまですんで、

ありゃ、あいば置(え)ぇとったけん、

と思うて来て、その俵ば担いで持って行たて、

海に「ドボーン」と、流して我が家(え)さい帰ったて。

ほんに、

あんな悪い弟のお陰、ほんなこったあ、

弟ばあぎゃんう(接頭語的な用法)捨てもせじも良かったばってん、

と思うとったら、

弟が鰺(あじ)てん鯖(さば)てんば

沢山(どっさい)持って帰って来たちゅうもんねぇ。

あくる日、

そうして、

「兄さん、海ん中に捨てられたお陰で、

ほら、魚どん沢山(よんにゅう)海から捕って来たばい」

て、言うたて。

ほんに、兄さんは何(なに)が何(なん)だかわからんで、

「奇妙きてれつ、本当に不思議なもんだあ」

て、言うたて、いうことです。ねぇ、

ほんに魚屋さんがそうらんばちやった(一緒ニシナケレバナラナイ)。

そいばあっきゃ。

[六一八 俵薬師(AT一五三五、cf.AT一五二五]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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