嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

何(なん)でん知らん、じきうつ(接頭語的な用法)忘るっ。

そいどん、

年ばっかい取っていくちゅうもんねぇ。

もう、うぅげなないすってん(体バカリ大キクシテ)、

何(なーん)でん、

「表(おもて)ば掃(は)け」ち言(ゅ)うても、掃きえん。

「金ば持って来い」と言うても、そいもしわえん。

もう、ご飯食べて生きとっばっかいのふうけん者がおったて。

ところが、

そこの田舎の夫婦の奥さんの方の妹さんがねぇ、

ズーッとそこから遠か所ぇおったらしいたいどん、

その夫婦のおっ母(か)さんの方が

酷ーか病気にならしたてじゃんもんねぇ。

(そいぎぃ、今んごと電話はなし、車はなし。)

「お前(まい)、何(なーん)もしわえん。お茶でん沸しえんもん。

あすこまで馬んないとん乗って、あの、妹嬢ば、

『姉さんのもう死んございどんわからんけん、

早(はよ)う来てくいろ』ち言(ゅ)うて、

一緒馬に乗って妹嬢ば迎えに行たて来てくいろう」

て言うて、使(つき)ゃあば頼みんしゃったて。

「あい」ち言(ゅ)うて、その馬鹿者は馬にも乗いえじぃ、

鼻綱ば取ってて、テクテク、テクテク山ば越えて、

妹さんの所(とこ)に行ったちゅう。

ところが、

ズーッといっちょ山越えて、

縄手(なうて)ばズーッと行きよったぎぃ、

側に川の流れとったちゅうもんねぇ。

そして、

橋のかかっとった所(とこ)までは、

まあーだ二、三里も下さい行かんば橋のなかったいどん、

ここの峠から見っぎぃ、

何時(いつ)かお客に、お祭いに呼ばれて来たことあってぇ。

その妹さんの家は、

ほんのその川ばいっちょ渡っぎじきじゃったちゅうもん。

妹さんの家の見えたちゅう。

そいぎぃ、

その馬鹿者さんなあ、ここは橋まで遠かけん、

余(あんま)い深(ふこ)うもなかごたっ川じゃっけん、

この馬ば背負(かる)うて渡ろう、て思(おめ)ぇんしゃったて。

ところがねぇ、

そこの川の側の台地の高(たあ)ーか所には、

恐ーろしか長者さんの家があって、

一(ひと)人(い)娘さんが生まれたいどん、

生まれた時から物も言わんば、一遍も笑うたごともなかー、

泣(に)ゃあたこともなかー、

その唖(おし)の娘さんが二階にジーッとおんしゃって。

そして、

その長者さん達は、

「家の娘ば笑わせた者には、聟になってもらう」

て言うて、触れ出(じ)ゃあて、

いろいろ毎年(みゃあとし)毎年、我(わ)が聟さんになろうだい、

私が聟さんになろうだい。

そいどん、

その娘さんは一遍も笑わんてじゃんもんねぇ。

あったいどん、

馬鹿者が、そこば、橋ば通らじぃ、

「川ば渡ろうだ。

馬ば背負(かる)うて行こうだい」ち言(ゅ)うて、

前足ば、両方の肩にかけて馬ばヨチヨチさせて、

川ばバチャバチャ渡いかかったちゅう。

そいぎぃ、

馬が重たいし、ヨトヨト、ヨトヨト尻もちつくごとなったり

おかしな格好ばして、馬が背負うて渡るさまていうたら、

皆がふき出そうごとおかしかごとして、

その渡ろうとしおっちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

今度(こんだ)あ長者さん所はどうかちゅうぎぃ、

二階から娘さんの恐ーろしか、

「アハッアハッ、アハッアハッ」様子の

笑わんでおられんごつあんもんで高う笑いさったちゅう。

もう窓から下ば見んさったぎぃ、

おかしか格好でフラフラしながら、

馬ば背負うて渡いよっ馬鹿者がおったもんだから、

もうおかしゅうてたまらじぃ、笑いんさったて。

そいぎぃ、

下から長者さん達、二階さい見んしゃっぎぃ、

おかしな格好して渡いよったもんじゃい、

もう、奥方さんも長者さんも、

「もう、そこんたい来てみろ」ち言(ゅ)うて、

笑(わる)うて、

その、顔を真っ赤にして娘さんは笑(わり)んしゃったて。

そいぎぃ、

「早(はよ)う、あの馬が背負(かり)いよっ男ば連れて来い。

家(うち)の聟じゃあ。

あいよい聟はあんもんか」て言うて、申し受けて、

その馬鹿者さんが、

その長者さん所(とこ)のお聟さんになんしゃったてばい。

その馬鹿者さんな人の良かー(ひと)人(い)じゃったて。

こいも運の向いとんしゃったとねぇ。

あの馬鹿者じゃあったけど、

お聟さんになってお母さんの病気もねぇ、

治(よ)くなっんしゃったて。

そいで、めでたしめでたし。

[五九一 臼を負うて馬に乗る(AT一二一五)]

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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