嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

恐ろしか真面目に働く百姓さんがおったてぇ。

そうしてもう、畑も早(はよ)うから打つ、

セッセセッセと耕して、

あっこの畑にゃ草一本生(は)え所(とこ)のなかていうごと、

恐ろしかもう、手本にせんまらんごと働き者の百姓さんがおったてぇ。

ところが、その百姓さんの畑に一(ひと)蕪(かぶ)、恐(おっそ)ろしか、

一(ひ)人(とい)では引きえんごと太か蕪のできたちゅうもんねぇ。

そいぎぃ、

「ぎゃん太か蕪は、めっちゃに見たごとなかあ」て、

言う者(もん)ばかいやったてぇ。そいぎぃ、

「こりゃあ、殿さんに差し上げたら」て。

「ぎゃん太か蕪は、めったになかもん。

殿さんに差し上げんね、これにこしたことはなかばい。

こりゃ、我が我がいち食うともったいなかあ」て言う、

皆の進めもあって、その百姓は、足どん洗(ある)うて、

草履(ぞうい)どん履(は)いて、

殿さんのお屋敷に行ったちゅう。そうして、

「殿様、こんなに大きな蕪ができましたあ」ち言(ゅ)うて、献上したら、

「おう、そうか。

お前(まい)がかねて精魂かたむけて働く精出す褒美だなあ。

見事な蕪じゃあ。これは一つ褒美やらなくちゃなあ」ち言(ゅ)うて、

小判を百枚も褒美にくださったて。

「そいぎ殿様、大喜びじゃったなあ」ち言(ゅ)うて、

我が村さんこの男帰って来て、

「大蕪のお礼、褒美にねぇ、

『恐ろしかきれいか』ち言(ゅ)うて、

褒められた上、もう本当に、

百両も貰(もろ)うて来たあ」ち言(ゅ)うて、

自慢して話(はに)ゃあたもんだから、隣(とない)の友達も、

「そいぎ俺(おり)ゃあ、そいぎぃ、

蕪どんよい良か、もっと良か馬ば立(じっ)派(ぱ)に磨(みが)いて、

殿さんな馬ば大好きじゃろうけん、

馬ば見てもらいに持って行こう」て、

こうしてもう、川に入って立派に磨いてねぇ、

もう毛並ば揃(そろ)えて、縄引いて、

そうして殿様の家(いえ)にやって来た。

「はああっ」と、お礼どんして、

「殿様、私(あたし)ゃ立派な馬をお持ちしました。

見てください」て言うた。

「おう、そうかあ」て言うて、

しらっと見んさったばっかい。

「お前(まい)は百姓だったなあ。

百姓の何某(なにがし)だったなあ」て、

名前も知っとんさったてぇ。

そして言んさったには、

「百姓が馬を手離したら、これからどうすっ。

田圃も耕すことも難しいだろう。

百姓の道具であろうに。早速つれて帰れ」て。そいぎぃ、

「この大蕪ば、君には褒美にやっ。

これから働けよ。この大蕪を作った男を手本にして働けよ」と、

おっしゃって、その男は大蕪どん貰って帰んしゃったてたいねぇ。

そいけんねぇ、殿さんも立派、

本当に良く働く者はチャーンと、

遠か所(とけ)ぇおっても見とんさったとよ。

そいばあっきゃ。

〔二九  本格昔話その他〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P298)

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