嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

昔は侍さんじゃったいどんねぇ。

お父さんが誰かに殺されたかどうか知れんけど、

早(はよ)う死んで、

おっ母(か)さんと息子さんが寂しく暮らしおったちゅう。

そして、息子さんが十五にもなったぎぃ、

「もうねぇ、

『元服』ちゅうて、

お前(まい)も一人前の大人にこいからなっとじゃっけん、

旅に出て立派になってきなさい」ち言(ゅ)うて、

おっ母さんは一(ひと)人(い)息子さんを旅立たせんさったて。

そいぎぃ、その息子さんは、

ズーッとその旅しゅうで出かけんさったちゅうもんねぇ。

もう都にも大抵ぇ近かにゃあ、と思う時、

一晩宿屋に泊まんさったて。

ところが、そん息子さんが男前のほんに立派か男じゃったて。

そいぎぃ、行たぎそこん使用人や道を通いよった者(もん)まで、

「今まで随分人ば見たいどんが、

あぎゃん立派か若(わっ)か者な初めて見たあ。

きれいかにゃあ」ち言(ゅ)うて、

もう一(ひと)人(い)見よっぎぃ、

二人(ふちゃい)、三人て入れ換い、

その若か者の顔ば見ぎゃ来(く)っちゅうもん。

そうして、覗き見おったて。そうして、

「きれいかあ。ほんなこて立派かあ」て、

言いよったとの、

「ワイワイ」言うとに、

そこの家(うち)のお嬢さんがさ、

その声ば聞いて、

そがんきれいか男のどがん面(つら)じゃろうかにゃあ、

と思うて、人ん後ろからそうっと伸び上って見んしゃったて。

そいぎぃ、面長の顔で眉(まゆ)も濃(こゆ)うして、

口元も引き締まって、昔、

業平さんちゅう美男な話を聞いたいどん、

あーん人は業平さんよいかましやなかろうかあ、

ちゅうごと、立派かったて。

そいぎぃ、そのお嬢さんな一目見てから、

もうほんに好きにちぃなんしゃったちゅうもんねぇ。

若か者ないっちょんそれ知らじおったて。

そうして、翌朝になったぎぃ、

「早(はよ)う出かけんばらん。

先のあっけん」ち言(ゅ)うて、

早うその宿ば旅立って、一本道ばズンズン、

ズンズン歩(あゆ)うで行きよったぎぃ、

その辺(へん)に道普請があいよったちゅうもんねぇ。

そうして、

「オイ、オイ。若か者が来たばい。

一休みしゅうかい」て、皆が言うてさ、

そこに皆が腰を下ろして、若か者が近づいて来たぎぃ、

「オイ、若い衆や。お茶ども飲んで行きなしゃれぇ。

一休みして行ったら元気が出るよう」て言うて、

皆が勧むって。

そいぎぃ、言わるっままに皆さんと一緒に腰を下ろしてさ、

あの、息子さんなそけぇお茶どんご馳走にないよったちゅうもん。

あったぎぃ、昨夜(ゆうべ)泊まった家(うち)の下男がさ、

ハアハア言うて、息咳きってかけて来(き)よって。

そして、その若か息子さんば見て、

「若い方、これをどうぞ」て言うて、

一枚の紙切れば渡(わち)ゃあて、

また先(さき)帰って行ったちゅうもん。

そいぎぃ、息子さんこう広げて見たぎねぇ、

その娘さんがねぇ、帰りにゃもう一遍、

私の家(うち)に泊まってください。

私も、もうあなた様をほんに好きにちい(接頭語的な用法)なりました、

ていうようなことを、懇々て書いちぇあったて。

そいぎぃ、そけねぇ、

道普請に来(き)おった年寄いのお爺さんがねぇ、

「どら、まあ。見せてくれやあ」て、言うたけん、

「はい。どうぞ」ち言(ゅ)うて、

その気も何(なーん)もなかもんだから、そ

の若か者はその爺さんに紙切れば見せたちゅうもん。

そいぎぃ、熱心に何遍でん、

こうこう頷(うなず)いて見おったて。

そして、その爺さんなねぇ、実はねぇ、

昨夜泊まった所の檀那さんやったちゅうもん。

そして、誰(だい)でん仕事ば始めたぎぃ、

我がも一緒に立って、

「チョッと待ったい」ち言(ゅ)うて、若か者ば止めて、

「あなたは、こともあろうに、

何処の馬の骨かわからん者の、

我が家(や)の娘を誑(たぶら)かすとは、大した者じゃ。

あなたは生かしちゃおけん。その刀を一本、

私(わし)にも貸してください」て言うて、

もういきなり斬り掛かって、

とうとうその息子さんを殺(これ)ぇたてぇ。

そいぎぃ、その着物やら、息子さんの首やらば、

田舎のお母さんの所にねぇ、

届けられたてじゃんもんねぇ。

そいぎお母さんな、

「たった一(ひと)人(い)の息子ば、

父亡き後ば立派に育ちゅうで思うて、

ぎゃんして暮りゃあてきたとけぇ、

こがん変わり果てた姿になって」ち言(ゅ)うて、

お墓に埋(う)めて、お墓に行たて、

もう来る日も来る日も、もう泣くこと泣くこと、

泣きんしゃったてぇ。

そいぎぃ、三日目にその墓ん中からねぇ、

黒うか鳥(とい)の飛び出(じ)ゃあてきてねぇ、

「お母さん。そんなに泣かんでください。

三途の川の水がいっぱい溢(あふ)れて、

私も向こうさにゃ渡られん」て、その鳥がもの言うてじゃん。

そいぎお母さんは、ああ、

これは息子の魂に違いない、と思って、

「そうだなあ。泣いてばかりいても仕様がない。

お前(まい)の魂の供養をしなくちゃねぇ」て言うて、

そいからはもう、あきらめんしゃったて。

ところが一方、その泊まった家(うち)はさ、

もうその爺さんが道普請から帰ってからちゅうもんなねぇ、

雨風の酷うすっけどさ、降ってくったあ、

赤かどす黒か血の雨じゃったてぇ。

そいから吹きつくっとは、

障子でん何(なん)でん赤(あこ)う染まっごと血の風じゃったて。

そういうことです。

その若か者の泊まった家(うち)は、

とうとう皆が落ちぶれて家もなかごとなってしもうた、

ていう話です。

そいばあっきゃ。

〔一〇  本格昔話その他〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P181273)

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