鳥栖市河内町貝方 徳渕 鼎さん(年齢不詳)

 むかし。

本当か嘘か知らんけど、箒(ほうき)で人を叩(たた)いたり、

追い払ったりするもんじゃないと言うことさ。

ある天皇が、人間とは言いながらも鬼のように角が生えていた。

だから、お后(きさき)になるお方がおられなかった。

ある時、ある人が天皇に、

「あなたの奥さんになる人は、竜宮世界に乙姫と言うお方で、その人より他には、なか」

と言った。

天皇は、車に乗って竜宮世界へ旅立たれた。

そして、その途中、日が暮れていたので、一夜の宿を借ろうと、

「一夜の宿を借してください」と、天皇は言った。

天皇に角が生えていたので、そこの人は恐ろしくなり、

「宿は貸さん」と言った。

すると、天皇は、

「自分は悪いこはしないから、泊めてくれ」と、そこの人に頼んだ。

しかし、そこの人は、箒を持って来て、天皇を追い立てた。

天皇は、仕方なしにそこを出て、次の家へ立ち寄り、

一夜の宿を乞うと、そこでは宿を借りることが出来た。

そこは、箒を持って追い立てた人の弟の家であった。

その弟が、

「あなたは、どこに行きよんなさるか」と聞いた。天皇は、

「自分の嫁になる人は、『竜宮世界の乙姫しかおらん』と、

人が言うから、そこへ行っているところです」と、その弟に言われた。その弟は、

「あぁ、竜宮世界まで行こうでては、あなたの車で行くには、

一年や二年では行ききらん。私が船をやるけん、そいで行きなさい。

船に帆をあげれば、またたくまに竜宮世界に吹きつくるけんで」

と言って、船を準備してくれた。

天皇は、その船に乗って、帆をあげられたところ、

またたくまに、竜宮世界に吹きつけられなさった。

天皇は竜宮世界の乙姫に会われた。

そして、二人はめでたくそこで結婚なさった。

そこで九年間の歳月が流れ去った。

その間に八人の子供を持たれた。

天皇は、一家を連れて竜宮から帰りがけに、

旅の空で箒で追い立てられたところへ敵討ちに入ろうとした。

しかし、そこの兄は、そのことを知り、たくさんの坊さんを呼んで、

お経をあげてもらっていたので、敵討ちに入ることが出来なかった。

ところが、そのうちの一人の坊さんが居眠りをしていた。

そこから、天皇とその子供たちは入り込んで敵討ちをすることが出来た。

その時、いちばん安全なところに乙姫を置いていた。

そこを恵方と言うげな。

敵討ちをして、そこの家を焼き討ちしたのが、

すずおの晩じゃった【大晦日の晩だった】から〈すごう焚き〉と言って、

かがり火を焚くようになったと。

そして、元日の朝、そこの兄の腹わたを引き出し、煮て食べたから、

それを雑煮と言うようになったと。

それから、元日には、雑煮を食べるようになったと。

それから、七日の朝に、その家を焼き払ってしまったので、

それをホンゲンキョウと言うようになったと。

それから、七日の朝は、ホンゲンキョウを行うようになったと。

それから、兄の肉が、腐れて青くなった。

青くなった肉を切って食べられたと。

それで、三月三日の節供は蓬餅(よもぎもち)を食べるようになったと。

その時の血が桃酒になったと。

それから五月五日には、その兄の髪を食べたから、粽(ちまき)を食べるようになったと。

それから七夕の日には、その兄の筋をすすって食べた。

それで、そうめんを食べるようになったと。

だから、箒を持って人を追い払ったから、敵討ちされたので、

そんなことはするもんじゃないと言うことげな。

(出典 佐賀の民話第二集 P17)

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