東川登町袴野 南 権平(明31生)

 むかしなたあ。

兄弟(きょうじゃあ)三人、娘の十三ぐりゃあんとの、

それから乳飲み子と、まあおったらしかなたあ。

そうしてあの、親はおらんじゃったろう、お父さんの方はおらじぃ、

その、親嬶さんがおってなたあ。

そうして、ごっとい他所(よそ)ん家で、あの、あきがせぇなたあ、秋が瀬のなんのて、

そう言う風ながせぇをごっとい行きよらしたちゅう話やんなたあ。

そいぎ今度あ、あの、あきがせ行たてぇ、戻いよらしたいど、あがんとの、

山ん()が出てきて、その親嬶さんば取い(これ)ぇたてぇ。

取い(これ)ぇて、そうして今度(こんだ)ああの、血だらけないきゃあて、

そうしてわが宿まで来たちゅう話ないたあ。

そうして今度あ、いぇ、取い殺ぇたてて、

またその子ば取いぎゃ来たもようたいなたあ。

そいぎそん時なたあ、あの、その娘どんが、ほんなもう、

「子ばやれ」て、言うたちゅうもんなたあ。

そいぎぃ、乳飲み子ばやらしたいば、その、あがんとが、外さい出て、

木にその、登い良か大楠の木があったちゅうもんなたあ。

そいぎそれぇ、あの、登ったてぇろうてぇ。

そいぎ、今度(こんだ)あ、その子ばいち食うて、そうして、

「何処さい行たいやろう」ち言うて、その山ん姥が出て来て。

そいぎ、どうして、その木に登っとっことがわかったもんじゃっけん、

木にその山ん姥が登ろうでしたけんど、

いっちょんその、登らんちゅうもんなたあ。

登いえんちゅうもん。

「どがんしてその登ったか」て。そいぎあの、

「油かけて登いました」ちゅう話やんもんなたあ。

そいぎぃ、登りゃえじぃ、そうして、もうおしまいのところは、あの、そいが、

何処までじゃいろう、あの、登ったてぇろうて話ゃんもんなたあ。

そいぎ今度(こんだ)あ、

「金ん鎖を下ろしてくださいてぇろう」ち言うて、その子どもは言うたてぇ。

そいぎその、金ん鎖の下いたてぇ。

そいから今度あ、山ん姥にゃ、腐れ縄の下りたて言う話やんもんなたあ。

そいぎぃ、その腐れ縄かがいちいて下りらしたいば、ほんなそこの下に、あがんとの、

(きび)の中に落ち込ましたえばその、黍ののつんぬかって、そうしてあの、血の出たてぇ。

そいけんあの、黍の根にゃ血のごたっとのちいとんなたあ。そいけん、

「山ん姥の血てぇろう」ち言うて、昔、伝説で言いよったですよ。

(出典 未発刊)

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