佐賀市川副町新村 古賀 又吉さん(明32生)
此荷(こうのえ)さん言(ゆ)うとはなたぁ【言うのはですね】、
龍造寺隆信さんが、島原の戦で、打ち首にされて、首ば取られてなたぁ
そいけん、その首ば、そこまで、担(いの)うてきんさったぎ、
その首がそこから動こうでしんさらんやったちゅうもん。
そいで、
「ここに祀って拝(あが)むっけんが、軽うなってくれ」ちゅうて、
言うたぎなたぁ、軽うなんさったけん、
佐賀城下に持って行くことが出来なったて。
そいで、此荷大明神て、新村と重久と道免の三か村であすこを祀っとっ。
そういう風な伝説ば聞きよったよ。
以前な、祠(ほこら)が、高さは余り高うなか【そんなに高くない】
祠(ほこら)があって十月の十三日にお祭りしよった。
晩に当番の人が家を回って、朝は学校に行く前に、
小さか男の子ばっかい集まって、赤飯に漬物(おつけ)と味噌汁がでよった。
ありゃ、美味かけん、喜んで行きよったよ。
そいから、そこには、
「此荷さんの野狐(ヤコ)」ちゅうてなた、
野狐がおって、そけぇで大抵騙された者(もん)のあるらしかです。
昔は藪のこうしとったもんじゃけんが、
そこに野狐の屈(かご)うどったろなたぁ。
(出典 新佐賀市の民話 P42)