持丸 岡 正太郎さん(大4生)
成富兵庫茂安公、ご存じでしょう。
鍋島藩の有名な土木家。
あの人が、このへんが、しょちゅう水害で農作物・米がとれんでしょう。
そいでこの、千栗土井で、北茂安の千栗のお宮からですね、
ずうっとここまで、その、堤防を作られたわけ。
(今から五○○年前のことでしょう。私の親父から、しょっちゅう聞いとりましたが。)
そん時にこの、堤防の回(まわ)んために、
杉をずうぅと、堤防の外側にお植えになっとったですもんね。
ところがその、筑堤の終わってですね、その築堤する時にですね、
昔は、今みたいい泥ばモッコで担(いの)うてその、高むっでしょう。
そうすっとその、それを押える器具がないわけ。
そいで、あの、モッコで泥を取る人夫の人達ば全部、
手をつながせて、一列に並べさせて、そして一二(いちに)の三(さん)で、
ピンピンピン跳ばせて、かためらいたもの。
また一段やれば、そういうふうにしてやるちゅうふうにして、
疲れて、そうして杉笛ば植えられたと。
その、地元の農家の人達が、どういうふうな考えを持っとるか、
ということをその、百姓のなりして、百姓の着物(きもん)来てですね、
(昔ゃ、このへんは共同風呂ちうのが普通だったですもんね。五、六軒の人達が。)
そいで共同風呂ん所(とこ)で、どういう話をするじゃろうか、と思うて、
晩にその、百姓のなりしてから、ずうーっと回らいたらしかですもんね。
そうしたら、そりゃあ、江口のある農家のお爺さんが、
「ほんに、成富茂安公も偉かばってんが、いっちょぬけとんさんもん。
折角、あいだけの堤防ば作ったならば、太うなる杉笛ば植えたならば、
今度(こんだ)あ台風で揺れて逆にこの、堤防にひびが入る。
そいで、私(あたし)ならば堤防の内側に、川の方に竹を植える。
そうすっと、竹の上と水かさが増えた場合は、その、流れが速いから、
この、全部、やばいからピシャーッと、堤防にくっ付くわけ、曲がって。
そうすりゃ、後手になる。そいけんが、折角のあいだけの堤防ば
搗いてもろうたならば、ほんに竹ば植えんさっぎよかばってん」ち言うて、
話しおっとば聞きんさったと。
そいで、この、なるほどと思うて、外側にずうっとまた、竹ば植えんさったて。
(出典 三根の民話 P101)