神埼市脊振町広瀧 広滝クマさん(年齢不詳)

 むかし。

あるところに、貧乏なお伊勢さんと若松さんという仲のいい姉弟が暮らしていた。

若松さんは、学校の勉強もよくでき、仲間もうらやましがった。

ある日、仲間の一人が、

「若松。あした、きれいな重箱に饅頭(まんじゅう)をいっぱい持って来んなら、学校に来るな」

と言った。

若松さんは貧乏なことをよく知っていたので、

姉が饅頭を作ってくれないだろうと思って、家でしくしくと泣いていた。

そこへ野良仕事から、姉のお伊勢さんが戻って来て、

「若松は、なんでそんなに泣きよるか」と聞いた。若松さんは正直に、

「友だちが、『あした、きれいな重箱に饅頭をいっぱい持って来んなら、学校に来るな』て、

言んさったけん、泣きよる」と言って、姉に訴えた。するとお伊勢さんは、

「そんなら、じき(すぐ)姉さんが饅頭をこしらえてやるけん、早う寝んさい。

心配することはいらん」と、弟に言った。

そして、お伊勢さんは、弟に持たせる饅頭を一生懸命に作った。

よく朝、お伊勢さんはきれいな重箱に饅頭を入れて、弟に学校へ持たせてやった。

そのために仲間は困らせることができなくなって、がっかりした。

また仲間の一人が、

「こんどは何て言うて、若松を学校へ来らせんごとしゅうか」と言うと、

「きれいか絹の着物を着て来い、ち言うて、着て来んなら、学校へ来らせん、ち言おう」

と、また仲間の一人が言った。

そして、若松さんにそのことを言った。

また、若松さんは学校から帰って、家でしくしく泣いていた。

そこへ野良仕事から、姉のお伊勢さんが戻って来て、

「若松は、なんでそんなに泣きよるか」と聞いた。若松さんは正直に、

「友だちが、『あした、絹の着物を着て来い』て。

そうせんば、『学校へ来らせん』て、言うたけん、泣きよる」と言って、姉に訴えた。

すると、またお伊勢さんは、

「そんなら、姉さんが明朝、学校へ行く時までに、間に合わせるけん、早う寝んさい。

心配することはいらん」と、弟に言った。

それからお伊勢さんは、野良着姿になって、鎌も持って山へ出かけた。

しばらくすると、お伊勢さんは葛(かずら)をたくさん背負って戻って来て、それを大釜で煮た。

そして、お伊勢さんは葛を乾かし、すぐに機織りをして、着物を作りあげた。

そのできばえは、神さまのお授けといわんばかりに見事なものだった。

よく朝、お伊勢さんは、その着物を弟に着せて学校へやった。

そのために仲間は、若松さんを困らせることができなかった。

その日、若松さんは学校から、仲間と一緒に帰っていたら、大きな川に一本橋がかかっていた。

仲間の一人が、その橋を見て、

「四、五人は先に橋を渡れ。若松が橋の真中に行っころ、向こう側とこっち側から、

橋をゆすぶろう。川に落そう、若松を」と言った。

若松さんは、そんなふうにして橋から落されてしまい、水に流されてしまった。

若松さんは、海の近くまで流されたとき、

「ああ、男の子が流れてきた。こりゃあ、おめでたいのう。出船前に、こんな男の子を拾うて」

と言って、船頭さんがよろこんだ。

それから、〈祝いめでたの若松さまよ、枝も栄えりや、葉も茂る〉と、歌うようになったげな。

(出典 佐賀の民話第二集 P61)

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