呼子町小川島 鳴海常蔵さん(明42生)

 六十一になったら捨てぎゃ行く。

信濃の国じゃんもんなあ。

そこに姥捨山てあったて。

背負(かる)うち姥捨山さん登って、山があった、高いわけね。

そうするとあの、木の枝を折ってですね、

ズーッとそん、着くところまで行たと。

そして、帰るところになってから、

その女(おなご)のお母さんが言わすことにゃ、

「ここは山の深かけん、帰にっかけん、俺(おい)がなあ、

帰りよかごと、木の枝は折って置()ぇとっけん、そこば目当てに帰らんね」

て、子どもとて姥捨てんばどうしようもなかけん、ズーッと枝のあったちゅう。

そいぎ何ですか、黙って内緒でその側に食べ物(もん)持って行きよったて。

そうしたところが、隣国とか、いわばそん、県境になるとでしょう。

難題がかかったそうですね。

木のどっちが上か、どっちが元かと。こいが一つですもんね。

そいから、今度(こんだぁ)、灰あで藁ば綯()えち。

こう難題が出たそうです。

そいで今度、よか、家(うち)のお母さんがあつけおらすけん、

(たん)ねてみゅうて。そいでコソッと行って、

「隣国から難問のかかとっ」て。そいけん、

「どぎゃんしたら、今の若(わっ)か者(もん)は知らんけん」て。そいしたら、

「あの、水ば汲んで、そいで木ば浮かせ」て。

「浮かすというと、どんな短(みじか)か木でん、根ん方が重(おぶ)かて。

そいけん下のさがるけん、さがった方が根ぞ。

そいから灰(ひゃ)あの藁は、綯()うとる綱ば焼けて」ち。

「そうすると、そのまま形が残る」と。

その難問が解けたでしょうが。

そいで、ご褒美ばくるってなったそうです。

そして殿様に言わすとは、

「私ゃその、姥捨山にあの、半年前にお母さんば捨てぎゃ行たて。

ところが、お母さんが帰りの何(なん)、案内ばぎゃんしてくださった」て。

「やっぱい親と子とそがんさす」て。

「やっぱい年取った人しかわからん」て。

「そいけん、私ゃ、ご褒美何もいらんけん、

お母さんば公然と家(うち)さい帰してくいろ」て。

そいから姥捨山なくなったて。

(出典 未発刊)

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