神埼郡吉野ヶ里町小川内 武廣 勇さん(明32生)
あのですね。
こりゃ、あの、脊振山(せふりさん)の石楠花(しゃくなげ)の由来ち。
それば一つ話そうかなた。
むかし、大昔に。
日本中の神様の集まいが、豊前の国の彦山であったそうで。
そん時に、ちょうどあの、脊振山の弁財天様も行かれたもよう。
ところが、ちょうど五月の初め時分じゃったもんじゃい、
彦山に石楠花の真っ盛りじゃったもよう。
そいで弁財天様は、
「こりゃ、ほんもうきれいな石楠花。こりゃあひとつ私(あたし)も、
帰り家(うち)におみやげに少し貰って行こう」と言うて、
そこで独いごとを言んさった。
そいば[それを]彦山の権現さんが聞かれたもよう。
「いんにゃあ[ちがう]、そりゃあでけん」て。
「そりゃあ、うちの石楠花は一本も他所(よそ)さい持って行くことはでけん」
ち言(ゆ)うて、言んさった。
そいで、そん時は、まあ弁財天さんも黙っておられたもようばってんが、
どうしても欲しくてしゅうして[欲しくて]欲しゅうして、
もう弁財天さんはたまらんもんじゃい、
まあ二本位(ぐり)やあは引いて黙って持って行っちゃ[行っても]よかろう、
というところで、こっそーい[こっそり]と弁財天様が、
あの、二本引いて、そして、権現さんの見よらっさん[見られていない]うち、
雲へ乗ってずーっと帰らしたもよう。
そい後でその、彦山の権現さんが聞かしたもんじゃい、
恐(おっ)ろしゅう腹を立てて、そうして、
「弁財天、待てえ」ち言(ゆ)うて、
後ば雲に乗って追っかけんさつたもん。
そうしてちょうど、福岡県と佐賀県の境の所に、
赤坂山というその、山があるもんで、そこで後ろから彦山権現が、
弁財天さんに追いつきんさった[追いつかれた]もん。
そいで弁財天さんも、こりゃあもう、とてもしもうた[失敗した]と。
そいで、ここでもう石楠花(しゃくなげ)の一本う捨(し)ちゅう、
と言うところで、その石楠花ば捨てんさったもよう。
そいで一本持って、まあ、今度また一生懸命雲に乗って逃げさしたもん。
ところが、彦山権現さんも、なあーいその、
「もう一本でん、やるもんかあ」ち言うところで、
その後ば雲に乗って追っかけんさった。
そうして、ちょうど鬼ヶ鼻(脊振山頂で福岡と佐賀の県境)の上きた時、
彦山権現さんが、あとの一本、弁財天さんの持つとらすとば、
叩き落とさした[された]て。
そいで、あの、弁財天さんも、とうとう石楠花は脊振山まで持って行かんな、
あの、もう、帰んさったて。
そいで、今でも脊振山には石楠花は一本でん生えとらんて。
ところが、赤坂山から鬼ヶ鼻までは石楠花があるというて、
今でも由来(いわれ)も言われている。
〔自然説明伝説 (木)〕
(出典 吉野ヶ里の民話 P214)