嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 あのねぇ、むかーしむかし。

殿さんのお屋敷には沢山若い腰元がおったてじゃんもんね。ところがもう、殿さんのいちーばんお気に入りの綾子さんていうのが、とても気立ても良いし、いろいろ殿様の気持ちば良うわかって、まめまめしく本当に、甲斐甲斐しく何でもする。それで、お気に入られんしゃっだけある、ていうような、いい腰元がおんしゃったて。

ところが、同輩にしてみっぎもう、ほんに羨ましくて殿さんの気がちっとも自分達に向かない。

「綾殿、綾殿」て言うて、綾さんばっかいもう手懐(なず)けんさって。

そいぎぃ、同輩達が何とかして、あの綾を落とし入りゅうて、こう謀っとったわけ。そいで、きれいな着物を着て、お御馳走を沢山運んで、お殿様に差し上げる決りだったって。でもその日は、お御馳走の中の物を、その同輩達が同じ物を二つ載せとったて。そいは、お殿様のかねて嫌いで、どうしても食べ得んさらん。

「みっともなか。好かん、嫌いだ」ち言(ゅ)うて、機嫌ば悪くしんさっ。必ず言んさる蛸(たこ)じゃったて。蛸はどうしてもお殿さんは、好きんさらんじゃったて。そいところへ、蛸の料理ば二品(ふたしな)も載せたともんだから、お殿さんは、

「こりゃあ、どがんしたかあ」て言うて、大きな声を出して、その日はとてもご機嫌が悪かったとみえて、怒鳴んさったて。

そいぎもう、腰元達が声ばそろえて、

「そりゃ、綾さんの。そりゃ、綾さんの殿さんに、『どぎゃんこってん、お目にかけねば』ち言(ゅ)うて、しんさったあ」て、言うたけど、かねて控え目で余(あんま)りで喋らん綾だったから、黙っておったら、

「そいじゃ早速、私(わし)の家来とも、膳に載せた者を縛って、城外へ出せぇ」て言うて、もう、その日はご機嫌がとても殿さんは悪かったそうです。

そうして、家来達が、綾さんを引きずって城外にとうとう出されんさいたて。そいぎねぇ、

「私は、このお膳には載せた覚えはないけど、どうした具合じゃったろうかあ」ち言(ゅ)うて、随分悔みんさったけど、もう自分の知らんことをそんな謀られていたわけですよ。

そいぎぃ、もう、自分も死ぬよりいほかないと思うて、お城の外をしばらく歩いて行くと、滝のあるのをかねて知っとんさったて。そいぎぃ、その滝に飛び込んで死にんさったて。

そいから、そこは底なしの滝で、言われとったから、とうとう死体も上(あ)がってこんやったて。しかし翌朝、人が見に行ったら赤い朱塗りの盃が滝に浮かんどったて。そうして、すぐ側の梅の木に歌詠みを書いてあったてよ。それは、

書きおくも形見となれや筆の跡

またも逢う瀬の印(しるし)なるらん

死んでしもうては逢うことはでけんのにね。でも、毎年綾さんの命日には、誰(だれ)ーも朱塗りの盃の何処(どっ)からきたかわからんけど、滝壷の底から湧いてくっごと、毎年毎年、浮かんでいたのを見た者ばっかいだったて。

こういうことでした。

〔八二 文化叙事伝説(精霊)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P769)

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