嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

ある村にねぇ、

恐ろしか貧乏してお母さんと息子さんが暮らしておったてぇ。

働いても働いても一向にもう、楽にならんじゃったて。

楽になるどころか、ますます貧乏しおんしゃったてじゃんもんねぇ。

そうして、食べ物もろくに食べんで暮らしおったぎぃ、

おっ母(か)さんが、とうとう病気になって仕舞いんしゃったて。

何日でんもう、何(なーん)の食べ物も

、もう野菜もなかごとなったあ。そいぎぃ、息子さんが、

「そんなして、こがんしておったぎぃ、

おっ母(か)さんは死んよ。

金貸しさんの所(とろ)さい行たて、

お金ば幾らないとん借って来(く)うか」て言うて、

相談しんしゃったぎぃ、

「そうだなあ」ち言(ゅ)うて、お金ば借りに行きんしゃったて。

そいぎぃ、金貸しさんの所(とろ)に行ったらね、

「少しでいいから、お貸しください」ち言(ゅ)うたらね、

「借りばっかい来て、

なんぼ貸したっちゃいっちょでん返したためしはなか。

お前んごたっとには今日は貸されん」て言うて、

じき奥さい引っ込んでしもうたて、金貸しさんが。

困ったにゃあ、て息子さんが思って、

おっ母(か)さんに薬も飲ませられん、酷うなっばっかい。

ちぃ死んかわからん、と思うて、悲しゅうなってもう、

ボロボロ涙流しながら、一本道ばソロウソロウ来おったぎぃ、

何時(いつ)ん間(ま)にか、

一(ひと)人(い)のお婆さんが息子の前に来てねぇ、

「これ、これ。お前(まい)さんよ、お前さんよ。

私にはなあ、お母さん達親子のことを良―く知っているじゃでぇ」て言うて、

優しく話しかけんしゃって。(今まで見たこともなか、お婆さんですよう。)

そがん優しく言わるっぎぃ、息子は、なお涙も止まらんで、

もう声を上げて泣き出(じ)ゃあたて。

そいぎね、お婆さん懐からさ、

おろーいか手拭ば出ゃ(じ)あて息子さんの涙も拭(ふ)いてくいたて。

そうしてねぇ、言うには、

「この手拭は、お前さんにやろう。

私はぎゃん年寄(としお)いじゃっけん、何(なーん)もいらん。

何時(いつ)死んでも良かあ」言うて、お婆さんが言うたてねぇ、

手拭のおろいか(良クナイ)とばやんしゃったて。

そうしてからねぇ、

「ホイ、ホイ。お前(まい)さん、そん手拭はさ、

パラッと、広げて、パッて、振ってみなさい。

何(なん)か不思議なことが起こるやでぇ」て、

そのお婆さんが言うもんじゃっけん、

涙も拭いたし、息子が言わるっごと、

「こうですかあ」ち言(ゅ)うて、パッて広げて見たぎぃ、

チャリーンて、音のして、小判が一枚ヒョッと出たてじゃんもんねぇ。

そいぎねぇ、また息子がパリーンて、振ったぎぃ、

またチャリーンて、小判が出たて。

そいぎぃ、二枚(にんみゃあ)小判ば持っておったら、お婆さんが言うには、

「息子さんねぇ。これこれ、余(あんま)い欲ば出しちゃいかんよう。

何遍でん振いよっぎねぇ、

あんたが小(こう)もなるから欲を出しちゃいかんよ。

こいだけよく覚えとってよ」て、言うたら、何時(いつ)のはじ消えてしもうたあて。

そいぎぃ、小判は二枚(にんまい)持っとったから、

元気が出てねぇ、もう走ってその自分の家(うち)さい帰って行たてぇ。そうして、

「ただいま。おっ母(か)あ、良か物ば貰うたあ」て言うて、

ニコニコ顔でねぇ、帰って来たて。

そいぎぃ、おっ母さんはねぇ、

「沢山お金が借りられたんだなあ。良かったなあ」て、

言んしゃったぎねぇ、息子さんが、

「いいえ。違う、違う。違うたら」て言うて、

「金貸しは、

『絶対お前達には貸さん』て、

恐ろしか目くい出して叱られた」て。

「そうして、帰おったぎねぇ、

『こうこう、こうこういうわけじゃったあ』」て、

お婆さんから貰うたとば話して、その小判は二枚、

「もう、おっ盗(と)って来たとじゃなか」ち言(ゅ)うて、

見せんしゃったて。そして、そん時試しにねぇ、

手拭を広げて、

「こうして、こうやってぇ」ち言(ゅ)うて、

ヒヤッてしたぎぃ、またチャリーンて、お金が出たて。

「ああ、本当だ、本当だ。良かったなあ」ち言(ゅ)うて、

母と息子は喜んだて。

そうしてねぇ、そのお金でお医者さんにも、

おっ母さんをみせてもらうことができたてばい。

そいで、だんだん病気も治ってきたてねぇ。

そうして、お金のなか時ゃあ、あの手拭を振っちゃあお金ば出して、

美味(おい)しい物を買って来て食べたりして、

人並みに暮らせるようになったて。

そいぎねぇ、たった貧乏して二人暮らしおってぇ、

「今まで大変お世話になった人達も多かったが、

そんな方達にも、ぼた餅ないどん作って配ろう」て言うて、

お母さんの全快した祝いに配って回ったて。

そして、手拭は大切な物だから神棚に丁寧に祀っとんしゃったあ。

そいぎねぇ、そがん噂は村いっぴゃあー広がっとったてよう。

そいぎぃ、あの金貸しさんがさ、じき聞いてねぇ、

「『私(わし)ゃなあ、お前さん達にしこたま今までお金ば貸してきたばい。

そがんぼた餅配いぎゃ来たけん』ち言(ゅ)うて、

こんくりゃあではたらんとばい」て、言うたて。

「あいどん、そん代わりて、

あの手拭ば二、三日で良かけん貸してくいろ。

そいぎぃ、今まで貸(き)ゃあ銭(ぜん)も利息も堪忍してやろうだい」言うてねぇ、

神棚に上がっとっ手拭ば目(め)ぇかかってさ、

「あの手拭であの、小判の出(ず)っ手拭やろう」て言うて、

まっすぐ上がり込んで神棚から手拭ば持って行たてしもうたて。息子は、

「ありゃあ、二、三日借って行く」ち言(ゅ)うて、

もう今日は四日目じゃっけん、手拭はもうにゃあ返してもらわにゃあ、

と思うて、金貸しさんの家(うち)さい息子さんな行たて。

そうして、庭に入(はい)ったぎねぇ、もう庭いっぱいその家は、

金貸しの家は小判の山やったて。ピカピカ、ピカピカて。そうして、

「もし、もし」て、誰か人を呼んでも、

誰(だれ)も返事いっちょもせんじゃんもん。

息子は、ありゃあ、あの手拭は無(の)うなきゃあてしまうとっじゃなかろうか。

ぎゃん、小判の山ばこさえて、と思うて、

小判の山ば手でこう押しのけて見おったぎぃ、

その手拭がじき目(め)ぇかかって出てきたて。

「ああ、こいがあったけん良かった、良かった」ち言(ゅ)うて、

その手拭をほんに神さんのごと大切にとり上げて、

「良かった、良かった」ち言(ゅ)うて、

手拭を畳(たた)んでね、こうして見おったぎその手拭に、

小(こま)ーか虫の這うとったちゅうもん。

あらー、こりゃあ虫のおっと思うて、

指ん先まではじき捨(す)ちゅう、と思うて、パッて見たぎぃ、

その虫に目も口もあったちゅうもんねぇ。

ところが、目の辺(にき)はこう皺(しわ)んよったごとして良う見よったぎぃ、

あの金貸しさんの丸か顔そっくいやったて。

そいぎぃ、ここん金貸しさんな何処(どけ)ぇ行たろうかあ、

と思(おめ)ぇよったいどん、

「あらー、あのお婆さんの

『余(あんま)い欲張いよっぎぃ、小(ちい)そうそがんなる』て言うたぎぃ、

ぎゃん虫になった。金に欲の深かったけん、

こがね虫になったとやろう」て言うて、思いんしゃったて。

キッとこりゃ、欲深かの金貸しさんが、手拭を振いすぎて、

ぎゃん小(こま)か虫になったとばーい、て息子さんは思うて。

「こいこそ、銭に好いとっちゅうて、

こがね虫じゃい」ち言(ゅ)うて、帰って行ったて。

そいから、こがね虫ちゅうとの流行(はや)ったて。

そいばあっきゃ。

〔二六  本格昔話その他〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P294)

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