武雄市西川登神六 井出安次さん(明37生)

 むかし、姨捨山というのがあって、

年とったら、

その山に捨てることになっていたそうです。

それで、あるところに、

年取ったお婆さんを持っていた息子が一人いて、

お婆さんを篭(かご)か何かに入れて、

背負って山に捨てに行きないよったそうです。

そうして、捨てる場所まできたので、

お婆さんをそこに置いて帰ろうとしたら、

お婆さんが、

「お前、帰いきっかぁ(帰ることができるか)。

来た道ば帰いきっかぁ。

俺(おり)ぁもう、

こけぇ捨てらるっけん

帰らんでよかいどん(よいけど)、

お前は帰いきっかぁ」て言うたので、

困ったなぁ、さぁどうしようか、

てその息子が考えていたら、

お婆さんが、

「ここまで来っ間、

ずーっと木の枝を折っとるけんが、

その折っとっとばだどって行きぁええ」

て言いなったて。

そうしたら、その息子が

「あぁ、婆ちゃんな、

こがんことまで教えてもろうた。

婆ちゃんな一番大事か。捨てられん」ちゅうて、

また背負うて帰ったそうです。

そうして、家【うち】の中の、

誰も分からない所の、

縁の下のような所に、お婆さんを隠して、

ご飯を食べさせよったそうです。

そうしよったら、殿さんから、

「灰で縄をなうぎにゃぁ(灰で縄をなったら)、

褒美ばやっ」

ていうようなお触れの出たそうです。

そうしたら、孝行息子が、

それを聞いて、分からんから、

隠しているお婆さんに、

こっそり聞いてみたそうです。

そうしたら、お婆さんが、

「そりゃぁ、心安いこと(簡単なこと)。

藁(わら)で縄ば作って、そうして縄ばのうて、

そいば焼いたら、もう灰になっとんけん、

灰で焼いたごとなっとっ。

そいば持っていくぎよかぁ」

て言うので、そうして持って行ったら、

「そいないば(それならば)、

この玉に糸を通してみろ」

て、また難題を出されたそうです。

玉の中に曲がった穴の開いているのに、

糸を通せと。

普通にしたら糸は通らんでしょう。

それで、その玉を持って帰ってきて、

またお婆さんに聞いたら、

「蟻に糸を括(くくり)つけて、

穴の反対側に、蜜とか甘いもんを置いとけば、

蟻がずーっと穴を通って、

反対側さい出てくっ」

て言いなったけん、そのようにして持っていったら、

褒められて褒美をもらったそうです。

そうして、お婆ちゃんを姨捨山に捨てないで

隠していたことも許されて、

それから、姨捨山はなくなったそうです。

(出典 佐賀県文化財調査報告書 第71集「~矢筈・神六の民俗~」p123)

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