多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 あの、多久に白山という場所がございますね、

西渓(せいけい)公園の上の方に。

そこは、昔、攻められたわけですね。

戦争があった時に、

敵方の方が、食料攻めをやったわけなんですよねぇ。

それで、

「その食料をもう、その封じてしまう」

と言うことで、攻めたところが、なかなか、

その城が落ちないわけですよねぇ。

それで、その時に、多久の殿さんが、

「よし来た」と言うことで、

馬を米をかけて洗ったそうです。

そうして、下から見ていたら、

「おりょう。ありゃ、

米で洗(あり)よっじゃっか」と。

だから、

「そがん米で馬ば、

米で洗うごとその食料のあーんない、

こりゃあとても、とてもだんじゃなかじゃ

【容易じゃないぞ】」

と、言うことで、一応攻めかけたけれど、

退散したので、城が残って良かったということです。

ところが、その米を何処(どこ)から

貢いでくれたかと言うと、

多久の下鶴と言う所の農民が

補給してくれたわけです。

今の山づたいに行ってですね。

そして、それで助かったから、殿様が、

「何か、とにかく褒美(ほうび)をつかわす」と。

「だからその、何でも言え」と。

「もう、その、お前たちの言うことは、

何でも聞いてやあっけんが、

何かそけぇその、希望を述べよ」と、

言ったら、下鶴部落の人がですね、

あそこが元からの、旧家・豪族と言う侍は、

何軒かしかなかったらしい。

三件か幾らかでした。

ところが、

「もうほとんど農民も全部、その、

我々にその、刀の二本さしにしてくれ」と

言うことで、二本さしを、許可を受けて

士族になった、と言う話は

父から聞いとったですがねぇ。

[自然説明伝説・城]
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P111)

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