多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)
むかし。
稲葉源さんて言う人がおって、その人が屋敷に甘柿の木を植えとったらしい。
そいで、その甘柿が、まあその、近所の人がよく取りに来んもんだから。
そいで、その息子が柿の木の下(しち)ゃあ、こけたらしい。
そけぇ植えとったこんな【植えていたら】、
柿の木に登らるんみゃあだ【登れないだろう】、
と思うてしとったぎぃ【いたら】、その源さんが、
歩いて行たてみたぎにゃあ【行ってみたら】、梯子(はしご)ば掛けてあったて。
そいぎぃ、
「どうたんのごと【とんでもない】、柿ゃちぎらんごとと思うとったぎにゃあと、
梯子掛けて上いよっ【上がっている】」て言うて。
そいぎぃ、
「あの梯子は、誰(だが)掛けたと」
「俺(おい)が掛けた」と。
「なし」
「いんにゃあ【いいえ。違う】、そいばってんがない【しかしね】、
家(うち)の者(もん)が余計(よんにゅう)食(き)いよんもんない【食っているよ】」て。
「近所の者の泥棒して食うよいかも【食うよりも】、
家の者が余計食いよんもんない【食っているよね】」て言うて、
言うたということたんたあ【言ったとういうことですね】。
そうしてみっぎにゃあと【そうしたら】、やっぱし、まあ、何ちゅうても、
まあ咎(とが)めんでもいいじゃないかと、
家の者が余計食いよんもんじゃい【食っていたから】、
ちった【少し】施して良かろう、と言うようなこと。
(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P29)