多久市北多久町中ノ原 飯盛康晴さん(明43生)

 石動丸は、後妻の子供でした。

そうして、かなり苦労して、

その石動丸の父親が、高野山に篭っていた時に、

その時、母親は途中まででしか行きませんでした。

そうして、石動丸だけが行ったのです。

すると、

「ありゃもう、その人は亡くなってもう、おらん」と言われました。

そして、父親の墓の所に連れて行ってもらって、

墓と対面して帰たのでしょう。

(出典 多久・飯盛翁が語る佐賀の民話 P29)

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