唐津市馬渡島二松 牧山トモさん(明12生)

 むかしな。

その家()で栄華の暮らしであったちな。

けれどもその、市兵衛さんという人が、お梅さんていう嫁さんをもろうて。

そうしたところが、お父さんが早く死んだちゅうでしょ。

そして、お母さんがひとり残っておる。

そうしてもう、昔はほんに良かったばってん、

今は世にあさましいと言われるようになった。

そうして、そのお梅さんは息子の子をひとりうんでおりました。

そうして、そのお母さん、姑(しゅうと)お母さんは病気で寝とらす。

それがその、子どもがおれば何(なん)にも働きができゃせん。

お母さんに孝行することがでけん。

そいぎ考えて、そうしてその、市兵衛さんに、

「この子を捨てて、親に孝行するて、私ゃ考えとの」て言う。

「まあ、お前はそういうことを言うて。

たったひとりを捨てて、親孝行がさるんもんか」て、言うてね。

「あの、いんにゃ、そうじゃなか」て。

「私ゃ、この子ば捨てて親に孝行ばしたい」て言うて。

そうすれば、市兵衛さんは泣くて。そうして、たくさんの寺がならんで、

親孝行の大福神(だいふくじん)という寺に持って行たて、

その子を捨ててきて。

そうして、泣く泣く帰るばってんが、

主人の前に出た時ゃ、涙を流したふりはせずに、

「もう、捨ててきました」ち。

「何処(どこ)に捨ててきたか」ち。

「寺のたくさんあったってんが、親孝行の

大福神(だいふくじん)の寺に持ってきた」て。

「もし、これがお上(かみ)に知れたら、どうしよう」と、市兵衛さんが泣くて。

「よし、よし」て。

「こいがお上に知れた時は、女ながらも自分がその役所に出て行く」ち言うて。

そうして、その晩は眠りきらずに夜を明かした。

そうして、あくる日になって、若い人が着物を請負うて。

そして、その機を織ることにしました。

そうして、昔はですね、あの、着物は白かままで、染めてきておりましたもんな。

私の母たちも、こことこに紋をつけてな、

そして前にはこう、ひさしをつけてきれいに染めてきとりました。

そうして、その機を請負うて、木綿を針が出すところに六部さんが来ました。

晩の六時ごろ来て、そうして今度は、

「この木綿は私に売ってくれんか」ち。

「私の物じゃない。人の物ばってんが、折角、あなたが

その、言いますから、木綿こう見て、とっと待っていてください。

こうして今握ったところ、お大師様この物を買うものじゃない。

あなたは、この世の者にしては人間じゃなか」ち。

「親に孝行するために、そうして、あなたのその、このおいずつをあんたにやっ」。

そして、そのおいずつのいちばん上の段には、こくらが七つ入(はい)っとる。

そうしてそれを、

「縦に振っ時ゃあ、縦にばかり。また横に振っ時ゃあ、

横にばっかりして。縦に横にばっかりして。

縦横に振ってすればのうなるわけ。

横にする時ゃ、横にばかりすれば、のうならん」て言う。

そうして、貰(もろ)うて。そうしてその晩は、蚊帳の入っとる。

いちばんに下には、夕(よん)べあなたが捨てたろうじが入っとる。そして、

「わがはこの世の者じゃない」て。

「高野山の弘法様」て。

「あなたの親に孝行すっとは、その高野山にとどく」て、言うてその、

わが子を捨てての親孝行は四十四孝に増したるものて言うて亡くなんしゃった。

(出典 未発刊)

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