嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしねぇ。

とても悪い病気が流行(はや)りました。

もう、そいぎ子供が、ズーッと他所(よそ)の家(うち)を遊んで歩きよったら、

お礼をお家(うち)の前に何処(どこ)ーうでん貼っちゃちゅうもんねぇ。

「こりゃあ、何(なん)ねぇ」て、聞いたら、

「こりゃあ、あの、魔除けのお札たーい。

こいば貼っとっぎねぇ、悪か流行(はやい)病気の家(うち)さい入(はい)ってこんとよう」

て、言うようなことを聞いたて。

そいを聞いてきた子供は、家(うち)に走って帰って、

「父(とう)ちゃん。チョッと、家も誰(だーい)も病気せんごと、

お呪いのあの魔除けの札を家(うち)ん前に貼ってくんしゃい。

何処(どこ)ーうでん貼ってあっよっ。あいば貼っぎねぇ、病気のこんちゅうよ。

家ん者の病気せんてじゃっけんねぇ、書いて貼って。家にも貼ってよう」

て言うて、しきりに息子は頼みましたと。

そいどん、この子の親父さんは、学校に行かじぃ、字を何(なーん)も知らん親じゃった。何も知らんじゃったです。そいぎ息子が、こんなに言うて、

「早(はよ)う、書いて」と、言うけれども、弱ったなあ、困ったなあ、と思っとりました。字を知らんてちゃ、子供には言われんし、嘘はつかれんしと思うて、親父さんねぇ、

「今晩はねぇ、早う寝んしゃい。そいぎぃ、明日(あした)の朝はチャーンと書いて父ちゃんが貼っとくよう」て言うて、お父さんは子供を寝せましたと。

そうして、お父さんはソーッと起きて行たて、貼り紙のある家(うち)を何処(どけ)ぇしてあろうかにゃあ、と思うて、ズーッと捜して回り村はずれまで来ると、ここに明かりも何(なーん)もついてらん家(うち)のあって、貼り紙のぺターッと、貼ってあったと。そいをソーッと、剥がして帰って来て、家(うち)の戸にベッタリ貼っとったわけですよね。

朝、子供はその張り紙を見て、ああ、安心したあ、と思うとったら、通って行く人は、

その張り紙ばあっかい見て、

「ほう、ここも貸家かあ。この家は何処(どっ)かに行くとみゆんなあ」と、ジロジロと見て行くてやんもん。子供はこいば聞いて、

「父(とう)ちゃん。あの札は『貸家』て、書いてあっとう」と、聞きました。

そいぎぃ、どうしょうか、と思ったが、そこは大人のことで、ああ、こりゃもう、怯(ひる)まず、

「そうじゃあ。そうじゃあ」て、子供に言うてさ。そいぎ子供は、

「貸家ぐりゃいじゃしょうがないよう。お呪いのもならんよう。書きなおして」て、子供

は言うてじゃんもん。

「そうかなあ」と、一度は父ちゃんは思ったいどん。父ちゃんは、また元気を出してさ

「『貸家』て、書いておけばさ、この家(うち)は誰(だーい)も人間の住んどらんと思うて、悪い病気もきっと入ってこんよ。そいけん、お呪いよう」言うて、ごまかしたて。

そいでねぇ、昔は悪い病気が流行(はや)ってくると、「鎮西八郎為朝」と、書(き)ゃあたいないたいして、家の前に貼いよったちゅう。そいどん、その家には「貸家」ていう札の貼っちゃあったてよ。

そいばあっきゃ。

〔四二二C 貸家札〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P363)

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