鳥栖市牛原町 羽根エンさん(年齢不詳)

 むかし、むかし。

あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。

お爺さんは、いつも朝から田を耕しに行っていました。

ところが、お爺さんが田を耕していると、猿が出て来て、石に座り、

「あの爺が田打つにゃ、左ぎゃあにゃギカレンショ、右ぎゃあにゃギカレンショ」

と言って、お爺さんが田を耕す姿を見て、いつも馬鹿にしていました。

それで、お爺さんは怒って、

「こん畜生!」と怒鳴って追いかけても、

逃げ足が速い猿を捕まえることは出来ませんでした。

そして、お爺さんは家に戻り、お婆さんに、

「猿ば捕まえるから、とりもちば作らんかい」と頼みました。

お婆さんは、とりもちを作って、お爺さんに渡しました。

翌朝、お爺さんは、そのとりもちを持って田へ出かけました。

そして、お爺さんは猿が、いつも座る石に、とりもちをベッタリと塗りました。

お爺さんは、いつものように田を耕していました。

すると、猿が出て来て石に座り、

「あの爺が田打つにゃ、左ぎゃあにゃギカレンショ、右ぎゃあにゃギカレンショ」

と言って、また、お爺さんを馬鹿にしました。

お爺さんは今日こそは捕まえてやるぞと思い、

「こん畜生!また、そがんこと言うて」と、怒鳴って追いかけようとすると、

猿は、とりもちが尻に着いて、逃げられないでキャアキャアと鳴きました。

そして、お爺さんは猿を捕まえて家に連れて帰りました。

「婆さん、婆さん。猿ば捕まえて来たぞ!

今日の晩飯は、猿汁ば食べよう」と、お爺さんは言いながら、

猿を庭中(にわなか)に吊(つ)るしました。

そして、また、お爺さんは田を耕しに出かけました。

お婆さんは、吊るされた猿の下で米を搗(つ)き始めました。

すると、猿は、

「お婆さん、お婆さん。縄を解(ほど)いてくれんかい。

米搗(こめつ)きば、かせすっ【手伝う】」と、お婆さんに頼みましたが、

「嫌ばい!お爺さんから叱らるっから」と、お婆さんは断りました。

しかし、猿は、

「お婆さん、お婆さん。縄を解(ほど)いてくれんかい。

米搗(こめつ)きば、かせすっ」と、お婆さんに何度も頼みました。

お婆さんは米研ぎで疲れて来たので、とうとう縄を解いてやったのです。

すると、猿は喜んで、杵(きね)を、お婆さんから取って米を搗(つ)き始めました。

ところが、お婆さんが臼の中から、こぼれ落ちた米を拾っているところを、

猿は、お婆さんの頭を杵で搗いたのです。

それで、お婆さんは死んでしまいました。

それから猿は、お婆さんの着物を着て、お婆さんを味噌汁にしてしまったのです。

夕方、お爺さんは

「今、戻った。猿汁は出来とっかい?」と言って、家に戻って来ました。

お婆さんに化けた猿は、

「猿汁ば炊いたよ」と言って、お爺さんは婆(ばば)汁とは

知らずに食べてしまったのです。

お婆さんに化けた猿は、

「爺が、婆食うた。爺が、婆食うた」と言って、逃げてしまったと言うことです。

(出典 佐賀の民話第二集 P21)

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