佐賀市長瀬町 納富信子さん(大14生)
むかーし。
あるところに姉と弟がいて、やさしいお母さんは早く亡くなってしまいました。
そして、お父さんは仕方なく二番嬶【継母】さんを貰われました。
それから、家族は一緒に暮らしてましたが、
お父さんが、ある時に訴訟か何かの用件で京へ上らなければならなくなりました。
それで、お父さんは、
「長くかかるかわからんけんね、お母さんの言うことば聞いて、おとなしゅうしとったら、
姉ちゃんにはね、京の鏡ば買うてくるっし、
下の弟にはね、京の硯石買うてくっけん、
お父さんの帰ってくるまで、お利口にしとらんばいかんよ」と言って、出かけられました。
それから、お父さんが待っても待っても帰って来ないから、
子供たちは、いつも、
「何で、お父さん、帰って来んじゃろか」と言ってました。
すると、二番嬶さんは子供たちが全く自分に懐かないから、
いつもイライラ、イライラしてたそうです。
そして、ある時、
「そがん、お父さんの帰って来なっとの待ち長かないば、
そこん大釜さんの上に乗って、舞良戸ば開けてみてんさい。
来よんさっかも知れんよー」と、二番嬶さんが言いました。
それで、姉と弟は ひょっとして
お父さんが帰って来るのが見えるかも知れないと思って、
大きい釜戸の上に乗って舞良戸を開けてみました。
その時、二番嬶さんは釜の蓋をずらしていたのです。
だから、釜の蓋が外れて、ボコボコと湯が沸いている中に二人とも落ちてしまいました。
それで、お母さんは蓋をして、泣き叫ぶ子供を押さえつけて、茹で殺してしまいました。
そして、ちょうど、その時に虚無僧さんが通りかかったそうです。
虚無僧さんは二番嬶さんに、
「お宅は、何ば炊きよんさっかんたー」と聞かれたから、
「味噌豆炊きよっ」と答えたそうです。
「そんない、私にも少しばっかい【ばかり】、頂かせてくんさい」と言われたので、
「いんにゃあ。まーだ、煮えとらんばんたあ。
炊き始めたばっかいけん、まーだ、一時は煮えんばんたー」と二番嬶さんが答えました。
そう言われた虚無僧さんは、変な胸騒ぎがしたそうです。
あそこには姉弟二人の子供がいたけどなと思いながら、帰って行きました。
そして、一年ばかりして、また、虚無僧さんが、その辺に托鉢に回って来て、
「この間から、お宅のお嬢ちゃん、坊っちゃんのこと思いよったばってん、
もう大きゅうなんさったろうね」と言われたから、二番嬶さんは、
「去年、流行り病で、コロって死んでしもうたとですよ」と答えました。
虚無僧さんは、
「そりゃあ。そいぎぃ、私も本当に こぎゃんして回いよっけんが、
仏門の端くれですけん、ひとつ回向して行きましょう」と言われました。
そして、
「どこに埋めんさったですか」と聞かれました。
すると、二番嬶さんは、
「裏の竹林に埋めとっばんたー」と言って、竹藪の所へ虚無僧さんを連れて行かれました。
そこで、供養したら、ちょうど、そこに尺八にして良いくらいの竹がの二本、生えていました。
お経をあげてから、虚無僧さんは、
「そのちんちく竹ば、一本所望させてくんさい」と言ったら、
「はい、良かばんたー」と二番嬶さんが言われました。
それで、そのちんちく竹を貰って、それで尺八を作りました。
そして、また、いつものように、あちこち歩き回って、尺八を吹かれてました。
ある時、虚無僧さんは京都のお父さんがいるところに行って吹いたそうです。
すると、お父さんは尺八の音が何か悲しげに聞こえました。
京の鏡(かーがーみ)何(なーにー)しゅう
京の硯(すーずーり)何(なーにー)しゅう
父さん恋しやチンチロリン
まま母うらめしチンチロリン
と言うように聞こえたそうです。
それで、お父さんは、
「ああ、そがん言うぎぃ、家に残してきた二人の子供には、男の子には硯ば買うてやろうね。
女の子には鏡ば買うて帰っけんが」と言って京に出て来たのを思い出し、
何で不思議な尺八の音がするのだろうかと思いました。
そして、訴訟のこともあるけれど、ちょっと帰ってみようと思い、
家に帰ってみたら、子供は死んでいたと分かったそうです。
それで、
「どがんしたかー」と聞いたら、
二番嬶さんは、
「流行り病で死んでしもうた」と言ったけど、お父さんは何か納得いきませんでした。
それでも、お父さんは、
「俺がおらんやった時、流行り病で死んでしもうてねぇ」と言って、とても嘆かれました。
それから、味噌豆炊いた時は、
「七里も立ち戻ってでん所望せんば」と言うことになったそうです。
そいぎぃ、ばあっきゃ。
(出典 さがの昔話 P75)
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