呼子町加部島 向 六太郎さん(明38生)
ある店屋にですな、そん、大きな店屋だったそうですもん。
今いう、物貰いですな。
それが門松にもたれて、癲癇(てんかん)でな、
そして泡(あわ)ひきよったそうです。そうしたところがそん、
もう、商売家の人がなお、そういうふうな吉凶ば何(ない)して、
そういうふうな乞食がそん、門松ないして、泡ふきよっちゅうところで、
大抵、気色の悪しゃしよったそうですもん。
そうしたところが、何、しょくざん先生言わしたぎぃ、
雅号(がごう)ば詠むのは……で、その人が行たち、
「こりゃあ、おめでたいことがありましたな」ち言(ゅ)うて。
「何(なに)がおめでたいか」ち。そしたら、
「何、門松もたれて泡をふくの神、これが世に言うべん癲癇」
てち言う。大抵、何(ない)さしたち言う。
そして、それから、あの、紀伊の殿様がお気に入りだったそうですもん。
そうしたところが、歳の晩か元日の晩に鼠の小便まいかけたそうです。
天上から何(ない)して。
そうしたところがそん、非常にもう、気色くされて、
「城中の鼠ゃは、どの鼠ゃでんいっちょん残らんごと殺せ」て、
大抵何(ない)すってん、鼠子一匹も取れえんやっだったそうです。
そうして、気色の悪しゃしよらしたら、しょくざん先生が行たち、
「おめでたいことでございます」て。
「何がおめでたいか」て。
鼠子の天上人の真似ばしてしたたれたたるしいの少将て。
そうしたところが、歳の晩の時でしょうな。
そして、化けて二日か三日に、五日か日(にち)のうち、
そん、勅使(ちょくし)下(げ)向(こう)になって、四位の少将に任官されたて。
そして、大抵もう、そいからなお、お気に入りなって。そして、
「五色の歌をとり聞かせろ」て言うて、
色白く羽織は黒く裏赤くご紋は青い紀伊の殿様ち、五色の歌を作ったわけ。
そして、それでもう、何時(いつ)もそん、気に入るもんじゃいけん、
もう殿様が何時(いつ)でん、夜も夜中に何時(いつ)までもそん、
呼うじないさしたら、付き添いどんがたまらんごとなったそうですもんな。
そして、そいで何かプランプランすっとに家さい帰ったとに、
袖のプランプランする物(もん)な、こりゃあ何のあるもんじゃろうか。
ち思うて、開けて見らっしゃったそうですな。
そうしたところが、そん、歌詠みの書(き)ゃあてあったそうです。
そうしたところが、
何時(いつ)来てもよもの長話あからさまには申されません
て、女房の和歌ば歌い込うであったて。
これにゃもう、何(ない)して、
流しちゃでけんてちゅうごたっ風な、何(ない)したち。
(出典 未発刊)
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