鹿島市中牟田  織田五二七さん(大6生)

 代官屋敷ちゅうのが、まあーだ新町の一部分にあります。

鹿島は村をチョッとでますと、もう蓮池藩ですから。

そいで、あの、代官さんは、直友候は名君でしたから、

それで、まあ、常駐はしてなかったわけですね。

年に一遍、帳面調べに来るわけですね。

「今年は豊作だったから、どうか」ちゅうことを。

それで、それをその、あのへんの庄屋さんみたいなのが、

代行しよったわけですね。

何石ありましょうか。

千石ですね。

そいで、年に一遍が、見回りに来る時に、

その、こういうことをなさると言う

覚書きをやるわけですねぇ。

それに、何時ご起床と。

そして、一つちょうずまわしのこと。

そいから一つ、帳面検査とか、そいからご昼食とか、いろいろこう。

「ちょうずまわしがわからんのですねぇ。

そしてまわしということは、行のう」ということですねぇ。

そいで、庄屋さんたちは、だいぶん考えたけれども、

その、ちょうずまわして、庄屋さん学やったから、

長い頭と思うたんですねぇ。

そいで、長い頭を、こう回す時ゃあ、妙な趣味もあったもんだと。

八兵衛ていう一つの悪賢いけれども、頓知者がおったわけですねぇ。

それは世間の長兵衛というのが、その、長頭で有名と。そいぎぃ、

「それをしよう」と、言うてその、部落の方がちゃんと口説いて。

そして、その日から頭をグルグル回す練習をやったわけですね。

そうすっと、ちょうど正月の頃、お礼のその、見回りに来られたですね。

本当の代官さんが。(本当は任せておくわけですから)

そいで、夜は、まあ、多少倹約で、栗なんか食べて。

そして、まあ、娘が手踊りぐらいで、まあ、機嫌よく寝て、

「朝、いい天気だ」と。

そして、言うたら、庄屋さんがもう、朝、袴はいて来て、

「それ」て、その、八兵衛が、

「長兵衛、それ行け」て言うと、はかままではいて、

そしてその長い頭に鉢巻きをして、回すわけですね。

すると、代官さんは何だかと思いよったけれども、

ああ、そこは学のある人ですから、長頭回しと思うて、

「やあ、見事な長頭と。正月にふさわしく、舞いを見るような」

と言われて、金一封を戴いて、皆その、感激したという話ですけれども。

まあ、それだけですけども。その長頭を回しを、

「ちょうとう」と、その、学があるもんだから、

漢字では長頭と書くと思うたんでしょう。

ほんなことは洗面ですね、御手水(おちょう)と言うでしょう。

それを回しは、行動のことを言いますねぇ。

だから、えらい趣味もあったもんじゃと、言うわけで。

長い頭の評判の、連れて来て。

そして、こうこして見せると、私の真似して、こうやって引っくり返ったのが、

そいが長頭ですねぇ。

そいから、あの、屁の話は、一つは、その、オランダ語を幕末には、あすこの、

好生館で渋谷良耳は、次ぐじゃなくて、耳ていう字ですね。

その人が、教授じゃったですね。

そいで、オランダ語がお得意なんですね。

そいでオランダ語で、屁のことをフルートスと言うんですね。

あの、フルートて楽器があるんでしょう。

あれは吹くと言う意味で、やっぱい屁の意味になったんじゃないでしょうか。

そいで、ご家老さんの十六、七になるお嬢さんが、その、腹具合が悪いということで

往診に行ったわけですねぇ。

何時(いつ)まで物好きで玄関に待っとったわけでしょ。

そいで、七浦に、七浦はあれは、諫早藩ですね。

こちらの松浦さんか何かの、縁談があった。

その、花子さんちゅうて、その人は非常にいい娘さんで、

美人で心がけもよかったけれども、いっちょその、

相当高い屁が、それが悩みだったですねぇ。

そいで望まれて、八兵衛に

「屁はどやんしゅうかあ」て、向こうが望むわけだから、断るわけいかんと。そん時、

「鹿島の祭囃子をごあんないしましょう」ち言うて、

そん時、屁をブーッとふっ時ゃ、

ピィヒャラドンドンピィヒャラドンドンと、こう言うて。

そいぎ臭うよっとの見えんて。

ところが、もう昔の婚礼は、三日も四日もかかりますから、

もういよいよそん時には、大分かかって、

そして少し、下痢気味になっとったねぇ。

そいで、もようしたくなったもんで、

ピィヒャラドンドンピィヒャラドンドンと

されたとこらが、ちかっと本物がついとったんですね。

そいで、向こうの方は,いい人だったから、

「お前ん所の松林には、声ごろがついているんだ」

じゃあもう、本当の話だった。

実はその、こういうふうにして私たちが、

臭い物を助けるため、音を紛らわすために。

そいから、こいまた、ご家老さんの家(うち)からですね、

「姉ちゃんが腹の調子の悪いから、その、診察来てくれ」と言われて、

「こうこう腹さするうちに、神経になってござんしたのう」て、

ご家老さんに言うたわけですよ。

そいぎ、家老とあろう者が、ないとは言えんから、

「実は、昨日、他所にチョッと貸しまして、

ただいま、明日、すぐ取り寄せます」と、

言うたんけど、何のことかと思ったけど、そのまま帰ったらしいですね。

そうしたら、ご家老さんは八兵衛は物知りだから呼んで、その、あすけぇ、

森田八助さんていう薬屋がありますねぇ、金持ちだったんですねぇ。

そいぎぃ、そこ行ったら、

「佐世保の親戚に貸した」と。「そいけん、いるなら取り寄せよう。

しかし、一時(いっとき)ゃあかかるぼー」と。

そしたら、荒川渡って今度(こんだ)あ、矢野さん所に行って、

「ありゃ、昨日、たまたま掃除しよったら壊れてしもうたあ、残念」て言うて。

そいから、その、有名な家をですねぇ、ありゃ、鼠がかじって、

「ほんにすまん」と。

「買()うてなりませんでした」て言うたら、そしたらご家老さんが、

「いや、ない物はないお言うのが、本当は武士だった」と。

「だから、本当に言おう」と言うて、次の日、往診行った。

こうこうされたら、こう押えとる。

出んですね、屁が。診察終わり手を洗うころ、自分から頭下げて、

「実は、フルートは探してもございませんでした」と。

「『ない物はない』と言うのが、武士のあれで、探しましたがございませんでした」と。

「いや、あれはもう、無用です」と言って、こう帰って、

「フルートスて何ですか」と、幾ら聞いても話さんじゃったと、いう話。

それから、「天狗さんの話」ありますねぇ。

その、天狗さんも位がありましてねぇ、鞍馬の天狗とか、いろいろ天狗があって、

そして、多良岳の天狗さんは、その、木の葉で作ったような、

こう、隠しごうもですねぇ、そのうち見えなくなる。

時々、飛んで来て、そこの八天山(塩田町)、そこの檜(ひのき)の植え止まって、

その、一休みして昼休みを楽しんでおったですねぇ。

そいぎぃ、そいをズーッと伝説があるもんだから、八兵衛が、こう笊(ざる)ですねぇ、

笊を逆行線に受けると、複眼のように見えるでしょう。

そうすっと、こうして天狗さんがおっと思うて、

「天狗さん、天狗さん。今日はお天気でよかったですねぇ」て言うたら、

「あら、八兵衛。俺(おれ)が見えんか」

「見えるから、言うておるんでしょう」

「八兵衛、何処がみえるか」

「いや、京都とか江戸とか、もう見事ですよ。もう今、行列が‥‥」と、

何かの言いわけに、天狗さん、そい見たくてたまらんですねぇ。そいけん、

「八兵衛、チョッとそれ貸してくれ」

「いや、天狗さんの隠れ蓑とじゃあ、チョッと交換して代えましょう」と、

天狗さんは笊(ざる)を見ても、その、チットも見えんですねぇ、京、大坂が。

「八兵衛、京、大坂がみえんぞ」ち言()うたら、

隠れ蓑を着ているもんだから、もうわからんですねぇ。

天狗さんは、まあ多良岳帰ったでしょうが。八兵衛はそれをいいことに、それを着て、

まあ、矢野さん方に行って、酒を出しては毎日一遍で帰っとったですもんねぇ。

そして嫁さんが余(あんま)り毎晩出て行くから、

幾ら風呂参りにしても不思議だと思って、八兵衛がおらん時に、

いちばんその、隠し箪笥みたいのをあせってみたら、

もう古臭い木の葉をつずったようなのがあったもんだから、ばんばらあつかかとか、

そいからよそわしかとか、言うわけですねぇ。

「よそわしか」ち言うて、燃やしてしまっんですねぇ。

そいぎぃ、八兵衛いうわけいかんもんだから、

「ありゃ、どうしたかあ」

「燃やしました」

そしたら夏だったから、水かぶってお膳ばつけたんですねぇ、全身に。

そうしたらまあ、見えなくなったから、もう最後と思って、その藪さん所に行って、

枡に入れる時ですねぇ、もうチョッと入るもんだから、

八兵衛もピースにかかったんですねぇ。

そいぎそこだけ、見えたんですよ。そうすっと、お婆さんも、

「あやっ、あぎゃん太とかとは、八兵衛、ドンベンは余(あんま)りこう、

少し年とってキチキチがふつかせんですねぇ。そうして大きくてダラーッとしとります

(こんへんではドンベンと言います)。

あらあ、八兵衛がドンベンじゃなかろうかあ」。

そがな格好見えるもんだからで、八兵衛ビックリして、あの、新町の通りを

ドンドン逃げたら、夕涼みしている人が、

「ありゃ、ドンベンいっちょう駆けて、走って」て、言うわけです。

そいぎぃ、とうとうその、八兵衛ギリギリ来て、中川にドボーンと飛び込んで、

「堪忍してくいござい」て、言うたちゅう話ですねぇ。

[大成 三〇三 手水を回せ(AT一三三八)、四六八 隠れ蓑笠(AT566cf.AT1002)]

(出典 未発刊)

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