嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

ちぃっと足らんというよいか、脳の弱―か馬鹿たれの男がおりました。

そうしたところが、ある冬の寒い時、

隣(とない)の家(うち)から火が出て火事になったちゅうもんねぇ。

そうして、見る間(ま)にその馬鹿息子の家(うち)に燃え移ってきたあ。

そうして、風も吹くし火の勢いが強かもんじゃっけん、消えんて。

そいぎぃ、馬鹿息子もウロウロ、ウロウロ、

何処(どけ)ぇ逃ぎゅうかにゃあて、体ばかい太かないどん、

脳の足らんとのあっち逃げこっち逃げ、ウロウロ、ウロウロしおったて。

ヒョッと見たらねぇ、わが家(え)の台所の隅に太か釜のあったちゅうもん。

幾ら馬鹿でん鉄は燃えんちゅうことば知っとったもんじゃい、

そのいっちょ覚えでねぇ、あらっ、鉄は燃えんちゅうもん。

この釜の中(なき)ゃあ、あの、ひっ被って逃げとっぎぃ、

こりゃあ、いちばん良かばーいて、

その馬鹿たれさんは思うて、催促実行したて。

火事はもう、ドンドン、ドンドン燃えて、

その馬鹿たれさんの家(うち)まで燃えたちゅうもん。

その時はねぇ、五軒も丸焼けした大火事やったちゅう。

そうして、ようようして火が消えて村ん人達はねぇ、

焼け跡の整理をしおったて。

そいぎぃ、村ん人の一(ひと)人(い)がねぇ、

「おやあ、ここに大釜が引っ繰い返っとっなあ」

ち言(ゅ)うて、その大釜ばこう動かしてみたぎねぇ、

そけぇ、あの脳の弱か男が死んどったちゅうもん。

そいぎぃ、誰(だい)でん、

「可愛そうねぇ。ありゃ、誰(だい)じゃい手を引っ張って

早(はよ)う逃ぐっぎ良かったとこれぇ、ここで死んどっぱい」

て、面(つら)ばみたぎぃ、穏やかな安心したごたっ顔ばして、

そのまま死んどったて。

「ほんに、鉄は燃えんが、ぎゃん焼くっぎぃ、

熱うなっちゅうことは知らんじゃったとばいなあ」

て、言うたい、ある人は、

「あん男は、家(うち)ん子供と良う遊んでくれて

助かいよったとこれぇ」て、言うたい、

「体の太かったけんねぇ、坂道ば荷車の上がらん時ゃあ

じき駆けて来て、押しやって加勢してくれ良かったばーい。

ほんに車の後押しの上手じゃったあ。

助かいよったとこれなあ」て言うて、あの息子の仏さんのような、

もう何(なん)も、白紙のような心の持ち主の息子じゃったもんじゃい、

死出の餞別ていうか皆、その馬鹿息子の死んだとに思い出を話し、

「可愛そうに死んでしもうたあ」て言うて、

死出の餞別のように思い出話をいつまでも語いよったて。

そいばあっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P841)

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