嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

コロリていう病気の流行(はやい)よったちゅうもん。

村中はねぇ、何処(どこ)の家もゴローゴロ人間の寝とって、

飯炊く者(もん)もおらんじゃったて。

「そりゃ、一家まま炊きもおらじぃ、一家全滅ばあーい」

ち言(ゅ)う者(もん)のあった。

そいぎぃ、酷か者なさい、病院さい送られて、

そうして死人な一年近くの焼き場、

毎日煙りの上らんて日はなかったちゅう。

それなあ、地獄んごと、年が大方一年近くもやっとその、

病気も下火になって、どの家にも和尚さんから厄病除けの、

お呪いどんしてもらわんばいかんごとなったちゅう。

誰(だい)でんその病気をコロリと呼んで、

コロリの流行(はやい)てつりあげよったとよ。

そういう年もあってから、五月の初めにはねぇ、

お寺さい村ん者はいっぴゃあ、男も女も年寄いも若か者も子どんも、

誰(だい)でん行たて、とうとうゾロゾロさい、

「にゃあなえ団子(だんご)、にゃあなえ団子」て言うて、

回(まや)あーて、そうして疫病神の来んごと、おったと。

そいぎぃ、その、「かやく祭いばあーい」ち言(ゅ)うて、

お祭りば参(みゃ)あば触れ回んもんねぇ。

そうして誰(だーい)でん、お寺さい行くとの楽しゅうして、

お粥(かい)さん持って行たい、なか時ゃ豆腐にゴマジョイどんかけたい、

蒟蒻(こんにゃく)の上しめ物(もん)どん持って行たい、裏白どん持って行たいして。

そうして、お婆ちゃんも贅沢にしよった時に、

その大きか数珠を盥(たらい)回して、そうして大人が外側、子供が内側ちゅうて、

「南無(なあ)阿弥陀(まいだ)、南無阿弥陀」て言うて、

大数珠を回して、あの、病気のお払いをしおったとよ。

そいばっきゃ。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P835)

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