嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかしむかし。

田舎にねぇ、恐ーろしいかねぇ、金持ちしゃんのおんしゃったて。

そいで何(なん)でん持たん物はなかごと贅沢(ぜいたく)ば

しおんしゃったいどん、なかとはこいいっちょだったて。

チョッと思われんちゅうもんねぇ。

ところが七年目にさ、男の子の生まれたてじゃんもん。

あーったぎぃ、たった一(ひと)人(い)息子の子の生まれたもんじゃいけん、

恐ーろしか親も、婆ちゃんも、お母さんも、下男も、下女も、

もうむぞうがっ(可愛ガル)ことむぞうがっこと、

もう地じゃあどま下ろさんごと可愛がって育ておんしゃったて。

そうーして、まだ這うて歩(さる)くさるく頃から、

お客さんのあって酒盛りのしょっちゅうあいよったちゅうもんねぇ。

あーったぎさ、年中お父さんの酒飲みかたのあって、

お父さんも大体酒好きじゃったいどん、

膝の上乗せて小(こま)か子どんうちから酒ば飲ませよんしゃったてぇ。

そん子供に、

そいぎぃ、その子は仕(し)舞(みゃ)あには酒飲まじにゃあ

一日でん過ごせんようにいちなったちゅう。

そうして青年の頃になったぎね、大酒(ううざけ)飲みになったてぇ。そうしてねぇ、

「酒ばあーかい飲んで、もう、ちかっと(少し)仕事ばせじゃあ、

家(うち)の田圃周いどん、何(ど)処(こ)が家のとじゃい覚えとかじゃあ」

ち言(ゅ)うて、もう朝から酒どんばっかいくろうて、

いーっちょんそぎゃんこともせじぃ、酒ばかい飲みよったぎねぇ、

中風になってうっ倒れてさい、早死にしたちゅう。

あーったいどん、もう親馬鹿て良(ゆ)うしたもんでねぇ、

その人の墓ば建てた時ゃ徳利の形ばしてさ、

「死んでから後まで、お酒どん美味(おい)しゅう飲んで極楽に行きやいのう」

て言うて、おっ母(か)さんな徳利の墓まで作ってくいたてばい。

ところがねぇ、その死んだ男は恐ーろしか酒好きで、

酒に命ば取られたごたったいどん、その徳利の墓にねぇ、

詣(みゃ)あいぎゃ来(き)おる者(もん)のあったて。

どぎゃん者の詣あいぎゃ来おろうかにゃあ。

まあーだ酒ば飲みたかてちゅうて来おっとやろうかにゃあ。

中風にならんごというて来おっとやろうかにゃあ。

て、人のジーッと聞いたぎさい、もう余(あんま)い家(うち)の息子は

酒飲んで困ったけんが、酒ば飲まんごと、どうーぞしてください、て言うて、

おっ母さんが拝みや来たい、嫁さんと聟さんと二(ふちゃ)人(い)連れでね、

「なーんも酒はちかーっと、いっちょお願いします」と、拝みおっちゅうもん。

そいぎ奇妙にばあ、酒ば飲まんごとないよって、

遅(おす)うにあの徳利の墓は有名になってねぇ、

酒断つ墓で、酒は沢山(ゆんにゅう)に飲まんごとなあーっ墓て言うて、

徳利の墓ちゅうて、ほんにその辺(へん)での名所になったてばい。

そいばっきゃ。

[一二六 自然説明伝説(塚)]
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P814)

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