嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしはねぇ。

こんなに世の中ひらけとらんやったとよう。

もう誰(だい)でん、学問もしたことなか。

そいでもう、貧乏人ばっかいじゃったと。

そいで、ご飯も食べえん者(もん)が多かったとよう。

そいぎぃ、ある村の山でねぇ、もう草藪(やぼ)じやったあそこん所に、

ある日、行き倒れがあったたい。

行き倒れていうのは、もう何(なん)日(ち)でんご飯を食べじぃ、

さ迷い歩いてそこでポッカリ死んでしもうとったあと。

そいで、ところがねぇ、そこの村と隣の、あの、長者さんと、

「ここが家(うち)んと。ここまで家(うち)んと」て、

その境(さき)ゃあば恐ろしか喧嘩ばあーっかいしおんしゃったて、ねぇ。

喧嘩が絶えんなかったて、境ば争うてさ。

そうして、自分の土地に死人ば出すぎぃ、

「もう、誰(だーい)も身内もなか。誰(だーい)もなか」

て、言うもんなねぇ、そこでお葬式を出さんまらん。

そいから酒も振ん舞(ま)わらん。物入いが大変じゃったいどん、

貧乏人ばっかいで、チョッと困いよんしゃったちゅう。

そいぎところが、ある何(なん)とかいう所で、草籔の所で死んどんしゃったてぇ。

そいぎぃ、

「アンアン。隣(とない)のあぎゃんとに、庄屋さんに、

『お前(まい)の所に死人の出たばい』て、

誰(だい)じゃい使(つき)ゃあに行たて来(き)んしゃい。そいぎぃ、

『ウン』ち言(ゅ)うて、引き受くっばい。

あの人、余(あんま)い正直かけん」て、言うことで、隣村に行って、

「あすこの、あんた方の土地で死人の出とっばい」て、

(「ほんなことは、こっちの方じゃいどん、あっちにもう、

なすくいつきゅう。連れて来(き)なっくさい」て。)

こういうことば、言んさったて。そいぎぃ、

「どれどれ。見てみんことにゃ、ほんなこと死んだいろう、どぎゃんじゃいろう」

ち言(ゅ)うて、その庄屋さんな出で来(き)んさったてぇ。

「ありゃあ。ほんなこてこりゃあもう、ちぃ死んどっ。

こと切れて仏さんになって、むぞうげねぇ。

ぎゃん知らん土地に来て死んで。

あいどん、何処(どけ)ぇないどん埋(う)めてくれじいにゃあ」て、言うごとなったて。

「何処ぇでん埋むっに及ばんて、ここで行き倒れになったんだから、

ここば掘ってここに埋めよう」て言うて、

「土ば深(ふこ)うに掘って、お寺の和尚さんに成仏しんしゃっごと、

後から使(つき)ゃあば言うて、すっぎ良かけんが」て言うて、その場に埋めて。

そいぎぃ、こっちの方の庄屋さんも来とんさったて。

そいぎもう、そっちの庄屋さんも来(き)とんさったもん。

「良か塩梅(んびゃあ)立ち合いもせじ良か」て。

「ほんなここで死にんしゃったけん、この死んだ印に、ここに塔婆ば建ちゅう」て言うて。

「そいが墓の印たい」

ところが大層その、草が生い茂って、あの、こっちの方の村に

大部土地が入(はい)ってきておっといどんもう、こっちの方は、

「あんたん所で死にんさったい」て言うて、念押しんさったら、

「ない」て言うて、承知したもんじゃっけん、

そこに標識ば建てて、土地の境界の標識になったと。

そいで、葬式代ていらんごと土地で儲けんさったて、ね。

そこでお葬式もしてくんさったて。

そいばあっきゃ。

[一二五 自然説明伝説(塚)]
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P813)

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