嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

天草の沖ば荷ばいっぱい積んだ船の通いようたちゅうもん。そいぎぃ、その海岸端におった男がねぇ、

「船頭さーん、船頭さーん。その船は何処(どこ)さい行きおっとやあ」て、声ば恐ーろしゅう高(たこ)う言うたてぇ。

そうして、ヒョッと見てむっぎぃ、樽(たる)のそけぇいっちょあったちゅうもんねぇ。そして、身なりはほんにスパッとした男じゃったて。そいぎぃ、その船頭は、

「この船はねえ、柳川(福岡県柳川市)さい行きおっとばーい」て、言うたちゅう。そいぎねぇ、恐ろしゅうその男は喜うでさい、

「そりゃあ、良か塩梅(んびゃあ)じゃったあ」て言うて。「そいぎぃ、この樽ばさい、柳川の間屋さんに持って行たてくれやあ」て、また言うたちゅう。そいぎぃ、

「良か、良か」て、合図ばして船ば浜さにゃ着けてみたぎぃ、樽ば乗せてから、

「余(あんま)い沢(よん)山(にゅう)かにゃあ」と、お金ば船頭さんに握らせたちゅうもんねぇ。

そいぎねぇ、樽ば乗せて、そうして、その船はズーッと風のなか、途中は波も余(あんま)い立たん、良か船路じゃったいどん、その時は暑か時分じゃったて。あの男が樽ば頼む時、

「絶対見てくんさんなの。あいば、ちい(接頭語的な用法)開くっぎ大事(ううごと)やっけんのまい」て、言うたて。何度でん、そいば言うたちゅうもんねぇ。そのことば船乗りさん達ゃ、ほんに気にしとったて。

島原を出てからは順調な船路でしゃあもなし(ジキニ)有明海までもちい来たちゅうもん。そいぎぃ、船に乗っとっ者(もん)どんが、

「あの、そいぎ樽ん中(なき)ゃあは何(なん)の入っとっじゃろうかあ。そがん大事か物ちゅうて、送い状も書(き)ゃあてなかあ」て。そいぎぃ、また一(ひと)人(い)の船乗りが、

「『見っごとなん』ち言(ゅ)うぎぃ、沢山(よんにゅう)見たかもんのう」て、言うたちゅう。そいぎぃ、

「ちぃっとばかい開けて見たこんな悪うはなかろうだい。そいぎぃ、何(なん)の入(はい)っといろうわかるもん。見てみたかのう」と、言うことで、

「チョッとだけ見てみゅう」ち言(ゅ)うことになって、ちぃっと開けてみたぎぃ、中(なき)ゃあどすう黒かとの、ドローッてしたとの入っとったちゅうもんねぇ。

「こりゃあ、何(なん)じゃっかあ」

「お前(まい)、知っとっかい」ち言(ゅ)うても、

「いんにゃあ。さっぱいわからん。ぎゃんたあ今まで一遍でん見たこともなかあ。そいどん、『送り状には何(なん)ば送る』て、書(き)ゃあてなかねぇ」て言うて。

「そんないばほら、こけぇ手紙は託(ことつ)けちゃいよ。これば見てみっぎぃ、何(なん)てないとん書ゃあてあろうだーい」ち言(ゅ)うて、手紙ば読んでみたちゅうもんねぇ。そいぎぃ、手紙ば読みよった船頭さんなさ、色真っ青なって震(ふり)ぃんさったちゅう。そいぎねぇ、他の者(もん)どんも、

「どらっ」ち言(ゅ)うて、その手紙をひったくって見てみたぎぃ、「天草の河童のさい、柳川の河童の王さんの所(とこ)さい、その、年貢やいおっとば書(き)ゃあちあったい。そして、こけぇは人間の肝(きも)ば九十九入れとっ」て。「しかし、この樽にはそいどん、いっちょ足らんどん、いっちょ足らん分な、ここの船頭の内のどいないとん殺(これ)ぇて、いっちょ取って百になやあてくんさい」て、書(き)ゃあちぇあったて。そいぎぃ、そけぇ読んだ者の、

「ぎゃんことのあんもんかあ。ふうけらしか(馬鹿ラシイ)」て言うて、全部(しっきゃ)あ腹きゃあて(オコッテ。立腹シテ)て、その樽ば海ん中さい捨(ふ)っててしもうたちゅう。

そうして、とうとうその柳川さにゃ持って行かんやったちゅう。

昔ゃねえ、河童の王さんは柳川におんしゃった、ち言(ゅ)うて。そうして、毎年人間の肝ば年貢に取い立ておんさったちゅうもん。天草の河童の年貢は、何時(いつ)でん相場が百て決まっとったちゅう。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P773)

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