嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかし。

坂ん下の蓮掘(れんぼい)には、親なし河童がおったてばーい。鮒(ふな)やら泥鰌(どじょう)たちと仲良く暮らしとったてぇ。

ある晩、嵐の恐ろしか酷かとのきて、大雨の降ってこの蓮掘(れんぼい)に石ころや丸太が流れ込んできたもんじゃい、鮒も泥鰌も逃げたい隠れたいしとったとなんどん、ひん流されたい死んどったっともおったちゅう。そいぎぃ、この親なし河童も四天(しってん)二天(にってん)(アレヤコレヤ)して逃げ回っとったいどん、太ーか木の流れてきたとにぶっつかって右腕ば折ってしまわしたて。そいが腫(は)れて痛かてやんもん。嵐はじき止んだいどん、もう河童の右腕の折れたところは、もう恐ろしか腫れあがって痛かてやんもん。鮒の言うことにゃ、

「この池の三軒隣にほんに上手か骨接ぎさんのおらすてばい。そいけん、釣りに来た人間の話しおったけん、そけぇ行たて診(み)てもらうぎぃ」言うて、聞かせたて。

そいでも、その河童は人間にいち殺(これ)ぇさるって聞いとったもんで、

「人間な怖(えす)かあ」て。「恐ろしゅうしてたまらん」ち言(ゅ)うて、人間に寄いつきえじおったて。ないどん(シカシナガラ)、骨の折れた右の腕は、もう腫れあがって痛(いと)うしてたまらん。夜(よ)さいも寝(ね)ぇられん。そいぎぃ、その親なし河童はとうとうその骨接ぎさんを尋(たん)ねて行たて。

お医者さんな、

「こりゃあ、酷う折れとんにゃあ。ぎゃん腫(は)るっまでほったらきゃあて」て言うて、良(ゆ)う治療してくんさったて。

「まちかっと早(はよ)う来(く)っぎ良かったとこれぇ」ても、言んしゃったて。

そうして、仕舞(しまり)ゃあ動きゃあても右腕はいっちょん痛(いと)うなかごとなったちゅう。そいぎぃ、親なし河童はお医者さんに、何(ない)なっとんお礼ばせんばやろうなあ、て思うて。そいぎぃ、何(なん)ばお礼に持って行こうかあ、て考えおったぎぃ、ヒョッと思(おめ)ぇちいたてぇ。おっ母(か)さんが死んとき残しとった箱のあったとば、あいば見てみゅうかあ、と思うて、蓮掘の穴の奥から箱ば出(じ)ゃあてきて見てみたぎねぇ、

「河童の妙薬」て、書(き)ゃあてあってじゃんもん。そいぎぃ、その袋の見つかったもんじゃい。こいば持って行たて、あの三軒目の骨接ぎ医者さんの家(うち)にお礼に行かう、と思うて、親なし河童はお礼に持って行たちゅう。

そいから先ゃねぇ、この骨接ぎさんの家(うち)ゃ、この河童のくいた妙薬で万病に効く薬(くすい)ちゅうて、恐ろしか繁盛したちゅうばい。

チャンチャン。

〔八四 文化叙事伝説(精霊)〕
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P771)

標準語版 TOPへ