嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしはねぇ。
ある所にも、何処(どこ)でんもう、人生五十年ちゅうてさ、そぎゃーんご馳走も食べえじぃ、お医者も少なかったけん、医者さんにも脈も取ってえじぃ、もう四十五、六ちゅう年で死ん者の多(うう)かったとよう。
あったいどん、ある山の村にねぇ、もう、恐ろしか年を取ったお爺さんのおんさったてぇ。そうして、そのお爺さんはねぇ、
「私(わし)ほどの年寄りは他(ほき)ゃおんみゃあだい。ああ、極楽極楽。ああ、有難か、有難か。そいけん、お寺さん今日(きゅう)は詣(みゃ)あろう」ち言(ゅ)うて、お寺に詣あおんしゃったてぇ。
あったぎぃ、後ろん方から誰(だい)じゃいろまたねぇ、お爺さんのやって来てねぇ、「ああ、お若いの、お若いの。あんさんもお寺詣りですかあ」て、声ばかけんさった者(もん)のおんしゃったけん、振り返って見んしゃったぎねぇ、その人もやっぱいお爺さんやったてじゃっんもんねぇ。あったいどん、「お若いの」て言われて、チョッと歯痒(はがい)かったちゅう。
「お前(まい)さんお年はお幾つですか」て、歯痒かったもんじゃい、言んしゃったぎぃ、
「ああ、私(わし)かあ。私ゃ百も二つもちい越えたあ」て、言んしゃったちゅう、ありゃあ、百の上もあっとのおんしゃったあ、と思うて、
「いやあ、ああ、うったまげた。そいでっかあ。俺(おい)、私(わたい)よいか五つもあなたさんは年の多かなあ」て言うて、「私ゃねぇ、九十七(くんじゅうひち)もなっですばい。そいけん、私(あたい)よいか年の多かとはおらん、と思うとったあ」て、お爺さんの言うて、二人(ふちゃい)連れ年寄い同士お寺さい行きおんしゃったて。
そいぎぃ、向こうん方にねぇ、また一人のお爺さんが腰掛けとらすちゅうもん。道端(みちばち)ゃあ。そいで、そのお爺さんがだんだん近づいたぎぃ、
「そこのお若いお二人。今日、お寺詣りですかあ。一緒に詣りましょうね」て。
そいぎぃ、二人(ふちゃい)どめまたムスッとしたと。冗談(ぞうたん)のごと、ぎゃん年の多(うう)かとこれぇ、て思うとんしゃったてぇ。そいぎぃ、その二人のお爺さんはねぇ、
「冗談じゃありません。私(わし)は若(わこ)うはないですよ」て、言んしゃったぎぃ、
「何(なん)と言いなさる」て言うて、またつけ加えて、「この方はなあ、百と二歳て。私の年は九十七にもなっとですよう」て、言んさったぎねぇ、その腰掛けとったお爺さんはねぇ、「はあ、はあ」て、高(たこ)う笑うて、
「私(わし)はな、百と八つだよう」て、こう言んしゃったてぇ。そいぎねぇ、その二人(ふちゃい)の者(もん)な、
「ああ、左様ですかあ。参りました、参りました」て言うて、降参したてぇ。
「そいぎぃ、一緒に行きましょうかねぇ」ち言(ゅ)うて、三人連れ立ってお寺さい行きよんしゃったちゅうもん。テクテク、テクテク坂道ば歩いて行きよんしゃったぎねぇ、横道ん方から杖ついたお婆さんの来(き)んしゃっちゅうもん。そうして、嗄(か)れた声でさ、
「お若いの、お若いの。三人どめ今日は何処へ行きなさる」て。
「お若いの、お若いの」て、言んしゃったと、またしゃくじゃったて。そいば聞いて三人の爺さん達、三人とめムッとしてさ、ああ、女(おなご)の婆ちゃんのと思うたもんだから、「こん私(わし)は九十七歳。」
「私(わし)ゃなあ、百と二つ」
そいぎぃ、まあ一(ひと)人(い)の爺さんが、「私は幾らと思う。百と八つじゃ」て、ムッとして言んしゃったぎぃ、お婆さんが、
「アッハッハッハア、連れのあって良かったあ」ち言(ゅ)うて、笑うてからね。
「そいぎぃ、あんさんな幾らかんたあ」て、聞きんさったぎぃ、
「私、私ん年は二つじゃあ。二つじゃよ」て、言いないたて、婆ちゃんが。
「そう。そいぎ真ん中のお爺さんがねぇ、あんたと同(おな)い年。」て、三人とめ口ば揃(そろ)えて言んしゃったぎねぇ、
「なに、同い年てぇ」て、婆ちゃんの言うて、「いや、いや。この婆(ばば)、二百歳婆でござるよ」て、言んしゃったもんで、開(や)あた口の三人とめ塞がらんやったてぇ。
そうして、三人とめねぇ、
「ああ、いや。本当に参りました。参りましたよ」ち言(ゅ)うて、この二百歳婆ちゃんに謝んしゃったちゅう。
そいばあっきゃ。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P636)