嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)

 むかーしむかしねぇ。

水車小屋にお米を搗いて暮らしとったお爺さんと、お婆さんがおらしたちゅう。そけぇねぇ、ある日、水車小屋にねぇ、魚(さかな)売いの来たてよう。

「魚はいらんかんたあ。美味(うま)か鰯(いわし)、活(い)きのよか鰯ー」て言うて、来たてぇ。

あったぎねぇ、お婆さんのねぇ、その鰯ば活きの良かぎ買おうだいと思うてね、

「魚屋(さかなや)さん」ち言(ゆ)うて、呼び止めたて。そしてねぇ、お婆さんのじき、「若(わっ)か者(もん)な、いいなあ、元気で」て、言うてねぇ。そうしてズーッといろいろ話しおったいどん、お婆さんな、

「あの、よう、魚も売るっだろう」て、言んさったけん、

「いんにゃあ。いっちょん今頃は売れん」て、魚屋正直(しょうじっ)か者(もん)じゃったけん言うた。そいぎ一時(いっとき)ばっかいしたぎねぇ、

「魚屋、そいぎこの私(わし)ば幾つぐらいに見ゆっかあ」て、婆さんが聞くもんじゃい魚屋は、もう正直か若か者じゃったけん、

「そうやなあ。良(ゆ)う見っぎ婆さんな六十ぐらいなあ」って、ちぃ(接頭語的な用法)言うたて。

あったぎぃ、婆さんのプリッとして、そっぽ向いてさ、

「私(わし)はそがん年じゃないぞ」て。「もう、そぎゃん老いぼれに言うないば買わん。魚はいらん」て、言うた、腹かいたふうやったちゅう。

「ありゃあ」て言うて、魚屋は帰かけよったぎねぇ、ズーッとそこからちかっと(少シ)ばかい離れた所(とこ)まで来たぎぃ、山さい行きよっ村のおんちゃん達のね、

「魚屋、婆さんな、あっこの婆さんな、年若(わこ)う言うぎぃ、ほんに嬉しかっぞう」て言うて、通い過ぎたて。

そいぎぃ、そん魚屋がねぇ、あらーここの婆さんな若う言うぎ良かったとばいなあ、私(わし)ゃ何ても思わじぃ、あがん年寄いてほんなことばちぃ言うたあ、て思うてね、また今(こん)度(だ)あ若(わこ)う言うてやろうで思うて、引っ返して、

「婆ちゃん、さっきはすまんかったなあ。ほんまにすまんかったあ。ほんま謝りに来たよ。あんさんは十九か二十か、二十一と私(わし)ゃみたなあ」て、表(おもて)から言うたぎぃ、婆さんな、

「本当(ほんと)かなあ」ち言(ゅ)うて、相槌ちを打ってニコニコ顔してねぇ、

「その鰯、みんな私(わし)たくれ」ち言(ゅ)うて、そうして、買(こ)うてしもうてくいたて。

そうして、お爺さんの帰って来て夕飯ん時さ、お爺さんに、

「今日ねぇ、魚売いの来てねぇ、私(わし)に、『若(わっ)かなあ』て言うた」

「何(なん)ち言(ゆ)うたあ」

「『十九は二十か、二十一か』て、言うたばなあ。そいで鰯ゃすめ買(ぎ)ゃあ(総ザライ買イ占メルルコト)したけん、ぎゃんご馳走のできたあ」ち言(ゅ)うて、嬉しかろうごとして、お爺さんに婆さんが話(はに)ゃあたちゅうもんねぇ。あったぎぃ、一時(いっとき)黙っとった爺さんがねぇ、

「十九と二十と、二十一を足(た)してんのう。六十になりゃせんかい」て、言わしたぎぃ、婆ちゃんなもう悔しがってねぇ、

「あの、お魚売いのなあ」ち言(ゅ)うて、悔しがったてぇ。

魚売いは確かに正直者(もん)じゃったてぇ。

チャンチャン。

(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P626)

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