嬉野市塩田町 蒲原タツエさん(大5生)
むかーしむかし。
恐(おっそ)ろしゅうねぇ、名医がおんさったてばい。馬鹿でん治(なお)っちゅう。そのお医者さんのおんしゃったて。
そうして、親父さんが自分よいか背の高(たっ)か息子を連れて、このお医者さんを尋ねて来て、
「お医者さん」て、来(き)んしゃったていう。
そいぎぃ、お医者さんのこの息子さんを見て、
「ふうけちゃおらんごたんのう(馬鹿デハナイヨウダネ)」と、こいしこば言んさったて。親父さんは、
「ふうけちゃいませんが、余(あんま)い利口すぎて、道楽息子でほんに親の意見も聞かん困ったもん。そいば、お医者さんに治してもらいたいと思って、連れて来ました」て、言んしゃったて。そいぎぃ、このお医者さんは、
「よしよし、わけなか。庭さ回って来い」
庭さい回って来(き)んしゃったて。一本の欅(けやき)の大木があったちゅうもんねぇ。そいを指さして、息子さんに、
「その木、登ってんしゃい」て、言んしゃったて。息子は、
「そいぎぃ」ち言(ゅ)うて、登い始めたちゅう。真ん中ん辺(たい)まで行たぎぃ、ハァー
ハァーハァーて、息せんばごときっかったけん、一休みしたちゅう。
「休んではいかん、いかん。もっとドンドン登れ、登れ」て、お医者さん声かくっちゅうもんねぇ。
「もう、木の天辺(てっぺん)の近かばあーい」て、言んさったぎぃ、
「いんにゃあ。まあーだ頑張らんばでけん」
そいぎぃ、木の揺ら揺ら、揺られ枝も揺ら揺ら揺られ、座っている小枝も揺ら揺らて息子も一生懸命小枝を握っとったちゅう。それを見ていた、そぎゃんしとったとば見届けたお医者さんな、
「お前(まい)は、この小枝ばシッカイ握っとらんば、落ちっぎ死んぞう」て、言んしゃったて。そいぎぃ、一生懸命握っとった。そいから、言んしゃっには、
「お金もシッカイその小枝んごと握っとらんばお前(まり)ゃ死ぬ。助からんこともあっ。そいが、良(ゆ)うわかったないば、降りても良か。わからんないば、明日(あした)まっでん翌々日(あさって)まっでん、そぎゃんして登っとれぇ。降りて来(く)っごとなんぞ」て、言んしゃったて。そいぎぃ、その放蕩息子は、
「堪忍、堪忍。お金の荒使いばっかいして、ほんに親に申しわけなかった。親に世話焼かせてすまんじゃった。降してください。もう絶対、金の荒使いはしません」ち言(ゅ)うて、泣き出したちゅうもんねぇ。そいぎぃ、お医者さんな、
「こいで性(しょう)は凝(こ)りたろう。絶対、金の荒使いなどすんなよう」て言うて、降ろしんさいたちゅう。
そいから先はねぇ、その息子は金使いは、いっちょんせんごとなって、無駄使いでもせんで働くごとなったちゅう。
そいばあっきゃ。
(出典 蒲原タツエ媼の語る843話 P625)